曖昧な状態で、気分でものを決めていくのが一番生きやすい

死後を生きる生き方 (集英社新書)

 この辺りも印象に残りました。

 

P123

 絵は、もう本当に面倒くさいんです。これはたぶん、子供のころにスタートした時点で面倒くさくて嫌だと思ったんです。何かをやっていても、嫌々やってるみたいな感じがある。そういう感覚を自分の中で自覚したときに、それが諦めというのか、もうええわ、この程度のもんでええじゃないかという、何も頑張る必要なんてないんじゃないかという境地に至ったんです。諦念ですよね。

 そこで何が起こったかというと、前よりも自由に描けるようになったんです。何を描いてもいいんだって。下手も上手もないんだ。どの色を使うということも、ええじゃないか。もっと極端に言うと、どうでもいいっていう気持ちが絵の中から起こってきたんです。

 それはたぶん、今までになかった自由な感覚だと思うんです。生きているときは、これは何を意味している、これはどういうふうに描いたかということを考えます。けれども、死んでしまったときは、どうでもええじゃないかっていうふうになると思うんです。

 だから、僕は死んだときの状態に近いことをやっているのかもわかりません。

 


P129

 わからないものはわからないと、理屈で捉えることをしなければ、直感が一番入ってくるんです。ものを考えているときは直感が入りませんから。無為な状態、空っぽな状態が一番直感が入りやすいんです。

 


P175

 ものには境界線がありますね。たとえば、生と死の間の境界線もそうです。僕は何でも境界線が好きなんです。だから、境界線とは白黒をはっきりさせた境目ですが、白と黒の間には灰色がありますね。その灰色の部分が好きなわけです。

 今、絵を描いていても、これが絵なのか、デザインなのか、別のものなのかはわからない。その境界線のグレーのゾーンがすごく好きなんです。

 そうすると、生と死の間もまた、灰色になります。灰色は白と黒を両方共有していて、その灰色をポッと超えると、まったく違うところへ行くわけです。どちらにも属して、どちらにも属さない。その曖昧さがいいんですね。すなわち、中途半端な状態が一番好きなんです。「年相応」という考え方には、この灰色の曖昧さが感じられません。

 曖昧さが好きなのは、楽だからです。どちらかに決めつけてしまうと、生きづらくなるじゃないですか。どっちでもいいというのが一番楽です。結局、僕はずっと自分の楽な道を選んできたような気がするんです。楽じゃないことは、どこかで無理をしているということで、それがたとえ大きな利益をもたらすことがわかっていても、後々全部負担になってきますから、とにかく、自分にとって楽であるということが大事です。

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 若いころ、デザイナーの先輩に「白黒はっきりしろ!」と怒られたんですが、それと反対ですね。はっきりした線をつけて自分のことを区切るような生き方は苦しくてできません。すべてに関して、計算した生き方に対して、僕は曖昧ですね。曖昧な状態で、気分でものを決めていくのが一番生きやすいんです。

 


P192 

 社会は、老人になっても好奇心を持ち続けなさいって言いますが、僕は逆です。そんなもの、持つ必要はないんです。好奇心を持てば、そこに常に欲がついて回るわけですから。

 医者なんかも「ボケ防止の方策の一つとして、好奇心を持ちなさい」とよく言いますね。でも、考えてみてください。ボケを防ぐために好奇心を持てば、ますますボケになるんじゃないですか?皆、せっせと苦労して好奇心を満たそうとして、その結果、ボケになっていっているわけです。

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 ボケが始まってくる老齢になると、脳以外にも体のあちこちにハンディキャップができるんです。そのハンディキャップは修正するんじゃなく、活用したらいいんですよ。

 たとえば、僕の場合で言うと、耳が聞こえなくなってきています。目もどんどん悪くなっています。もう五感が全部衰えてきている。それに加えて、手は腱鞘炎です。つまり、絵を描くためのありとあらゆる〝商売道具〟がボケてきたのです。ハンディキャップだらけの状態です。

 でも、そのハンディキャップを活用すれば、今まで想像もしなかった作品が描ける可能性もあるんです。手が痛いから、面倒くさそうな絵は描けない。でも、下手だけれど面白いものが描ける。

 作品のスタイルを変えようなんて思わなくても、体のハンディキャップが自然にスタイルを変えてくれるわけです。こんなに楽なことはない。変えようという意思が、だいたいにおいて作品をつまらなくさせていくわけですから、そんなことをしなくてもよくなる。

 もはや、僕はいい作品を描きたいなんて思っていないので、途中で止めたければ、そこが八十七歳の完成画です。

 


P198

 人間は誰でも忘れます。そもそも覚えることよりも、忘れることのほうが圧倒的に多いのが人間と言ってもいいんじゃないでしょうか。自分の経験、知識のすべてを覚えている人なんて一人もいません。高齢者じゃなくても、若い人でも、たくさんのことを忘れているはずです。

 覚えては忘れ、忘れては覚える。これが人生ではないでしょうか。どんどん忘れていいのです。そのほうが精神的にも健康です。

 歳とともにこうやって忘れる力が増すということは、だんだん子供に近づいていくということです。子供って幼児語でものを言うでしょ。そうすると、大人が言葉を失っていくのは、だんだん幼児化していっているわけです。ボキャブラリーの数がうんと少なくなってくる。そうすると、実はものの本質に近づいていく。ということは悟りに近づいていくことじゃないですか。そういうふうに解釈すれば、全然いいことだと思います。

 子供は知識や経験が少ししかないけれど、非常に本質的な存在です。人間は大きくなるに従って、何かを得るのと引き換えにいろんなものを失って、本質的な存在でなくなっていく。そしてまた、最後は本質的な存在に戻っていくんですね。