なんのための仕事?

なんのための仕事?

 こういう風に考えて、できることをしている方が、あちこちにいるんだと知れてよかったです。

 

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 さて、先にも触れた通り僕らは、「クライアントワーク(請負の仕事)」と「メーカーポジションのモノづくり(商品をつくって自分たちで販売まで行う仕事)」の二つを併行して手がけている。

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 ちなみに「クライアントワーク」と「メーカーポジションのモノづくり」の割合はおおよそ2:8になったが、総売上げは数年前より少ない。やりたくないことはせずに済む自由度を保ちながらのびのび過ごしてきた代わりに、貯金はないよという感じか。

「やりたいことを仕事に出来ていていいですね」と言われることがあると、「違う」という気持ちが浮かんでくる。

 確かにやりたくないことを我慢してやらなければならないような働き方は選んでいないし、そうならないように気をつけている。けれども実現しているのはただ「やりたいこと」ではない。

 考えているのはむしろ「いま出来ることは何だろう?」ということで、やりたいとか、やってみたいという気持ちはもちろん大切なものだけれど、その「出来ること」を支える小柱の一つにすぎない。変な言い方だけれど、「出来ることしか出来ない」と思っている。

 その「出来ること」は、いま自分にとって何だろう?

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 創造という言葉は、なにかをつくり出すとか生み出すこととセットで考えられることが多い。でも創造的であるって、なにかを「つくること」なんだろうか?

 プロダクティブであることと、クリエイティブであることは、まったく異なることだと僕らは思う。

 小説にしてもデザインにしても、人を感動させる表現のもとをたどれば、それを生み出したつくり手自身の感動、心が動いた瞬間、あたり前だったものがあたり前で済まなくなった瞬間にたどりつく。

 いままで見えていなかったものが、見えるようになるとき。聴こえていなかった音が耳に響きはじめるとき。こうした体験は、大きな喜びをともなう。

 いったい私たちは、そのなにが嬉しいのかな。

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 素晴らしいことや、かけがえのないことは、私たちのまわりにたくさんある。既にある。それに気づいていたい。

 世界と共感的に生きるためになにができるだろう。僕らはデザインを、そっちの方向に使ってみたい。

 

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 京都の鴨川沿い五条大橋の南側のたもとに、エフィッシュ(efish)というカフェがある。オーナーはプロダクト・デザイナーの西堀晋さんと、奥さんのつかささんの二人。

 西堀さんは2002年からアップル社のデザインチームに加わり、現在二人はアメリカで暮らしている。エフィッシュはつかささんが年に何度か日本に戻る形で、基本的にはスタッフが切り盛りしている。

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 学年は僕の方が一つ上だが、武蔵美の同じ学科の卒業生。大学を出て、彼は松下電器産業(現パナソニック)のデザイン部門に就職した。勤めて八年目の頃に「P-CASE」というCDプレイヤーのデザインを手がける。人々の反応も良く社内外で高く評価されたが、その翌年三二歳で同社を退職。廃屋状態にあった鴨川沿いのビルを借りて自らリフォームし、つかささんと二人で住み始めた。

 間もなくエフィッシュを開店。カフェ経営とデザインの仕事を併せて営むようになる。・・・

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西堀 ・・・僕は、一度デザイナーを辞めようとも思っていたんです。

―辞めようと?

西堀 ごみ処理場で働こうと思っていたんですよ。

 会社を辞める半年くらい前から週末にときどき伏見の処理場へ行って、いろいろな製品が、区別もしないでボンボン捨てられる現場を見ていたんです。

―もう少し聞かせてください。

西堀 一番大きかったのはモノをつくるのが嫌になったことでした。勤めていた会社と自分の方向性の違いも感じていたけど、それ以上に、どんどんモデルチェンジしてゆくモノづくりのありようが。

 買い換え需要を見込んでつくりつづけるのは、何万人もの社員の生活を保障しようとしているからです。経営者の立場からすれば当然のことだし、僕もエフィッシュのオーナーとして、みんなが生活出来るように売上げを考えます。

 でもその維持が、勤めていた会社の場合はモノをつくりつづける仕組みをつくり、処理場のゴミにも繋がっている。その輪の中で自分も給料をもらって生活出来ていて。その循環自体に違和感が生じたら、外れるしかないですよね。

 ごみ処理場に通っていたのは、メーカーで八年以上働きながらずっとつくる側の世界を見てきたので、処分する側の世界も見ないことには次に行けないんじゃないかと思ったんです。

「こういうところで働くことがいまの自分に必要なんじゃないか」とも考えた。けど実際には諸事情もあって入りにくい世界です。無理だった。けどそんな想いがあったんです。

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 それで会社を辞めてから一年間、僕はデザインの仕事は請けずに、廃墟だったビルを住まいに直しながら暮らしていたんです。誰も手をつけようとしなかったゴミ溜まりのような空間を、自分の手で再生させることに意味があるんじゃないかなと思いながら。

―そんな西堀さんが、全世界に向けて何千万台ものモノづくりを重ねるアップルに行ったのはすごいことだな。

西堀 自分がつくりたいのは、モノではないなと思ったんです。自分の生き方を自分でつくりたいんですよね。

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 アメリカで暮らして思うようになったのは、日本にはもっと時間とか、精神的な余裕をつくり出せる環境が要るなあということ。

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 ・・・余裕がない。人に対する余裕もなければ、自分に対する余裕もなくて。だから全部がおかしくなってしまっている。僕はそこに興味があって。人が余裕を持って生きてゆける生活をどうつくっていけるだろうって、いま漠然と考えているんです。