「徳」とは・・・

三流のすすめ

 印象に残ったところです。

 

P142

『人物志』は、人の見方について書かれた中国の古典で、著者は魏の劉劭という人です。

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 劉劭は言います。

「人は、自分が理解できる人しか理解できない」

 人というものは自分と同じタイプの人のよさはわかるけれども、自分とは違うタイプの人のよさはわかりません。

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 企業にしろ、学校にしろ、面接というのは初対面の人を評価しなければなりません。しかし、これは至難の業であることは、それに携わったことがある人ならばわかるでしょう。

 ところが人は「自分は人を見る目がある」と思いがちであり、そして、他人が選んだ人を見ると、「あいつは人を見る目がない」と思いがちだと劉劭は言います。それは、「一流の人」は、その「流」の人しか理解できないからだと言うのです。

 劉劭は、人をどのような尺度で識別するのか、それによってこういう点は評価するけれども、こういう点は見失いがちだということを「流(類型)」ごとにまとめています。そのために、まずは人を一二の類型に分けています。現代的にいえば「性格類型」です。

 そして、その類型ごとにおのおの適した政治的な職種(業)を充て、さらに中国の歴史の中から該当する人物を紹介しています。さらにその類型の人が、他人を評価するときの基準や、評価する点、しない点をまとめています。

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 まずは、基本となる三材について見ていきたいのですが、その前に三材の基本となる「道徳」と「法」と「術」について考えてみたいと思います。

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 道徳とはいったいなんなのでしょうか。

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 道徳とはなにかをひとことで言えば「この通り行えば多くの人がうまくいくよ」という筋道を示したものです。

 たとえば、信号は守るべきとか、人に迷惑をかけてはいけないなどの「~べき」は本来の道徳とは違うものです。それはどちらかというと、あとでお話しする「法」に近い。あるいは「倫理」に近い。

「倫理」と「道徳」とは違います。

 道徳は時代が変わっても(あまり)変化をしないものですが、倫理は時代とともにコロコロ変化します。

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 ・・・「徳」という文字は、本来は王のために使われた漢字です。「徳」という字には「彳(ぎょうにんべん)」がつくことでわかるように、もともとは「道」に関する語です。最初は「心」がない形で、諸国を巡視するという意味でした。

「徳」の旁は「直」と「心」。「直」は「目」と「十(矢印)」で、まっすぐ見るという意味です。この道をまっすぐ行けば、正しいところに着けるよというのが「徳」のもとの意味です。

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 ・・・徳の特徴は「これが正しい」という正解がないということです。「徳」というのは非常におおざっぱなものです。自由裁量の部分が大きい。その場、そのときの状況に合わせて、もっともふさわしいものを択ぶ。それができる能力を身につけることが「徳」を身につけることです。

 しかし、それは凡人にはなかなか難しいし、わかりにくい。だからといって「これが正しい」という一つの方法を教えると、それにがんじがらめになって身動きが取れなくなる。それならば、「これをしてはダメだ」というほうが従いやすい。それ以外はOKなのですから。

「~してはダメ」ということを教える。それが法の最初です。

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 否定する教育はよくないという人がいますが、モーゼがあんなに苦労して手に入れたのもほとんどが否定語から始まる「十戒」ですし、鑑真和尚が目を犠牲にしてまで日本に伝えたかったのも「戒律」です。「~してはいけない」という戒律は、人を正しい方向に導くためのパワーツールなのです。

 そして、それを成文化したのが「法」です。

「徳」というものが選ばれた人のためのものだとすれば、「法」というのはそれを一般化したものなのです。

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 さて、三材、最後は「術」、策謀です。

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「術」は魔術の術ですが、これも徳と同じく「彳(ぎょうにんべん)」がついているのでわかる通り「道」に関する文字です。「行」は、もともと十字路=「辻」の形です。・・・

 辻(行)には市が立ちます。市では、たとえば海産物と農作物のようにまったく違う産物を通して、まったく違う生活様式を持っている人々が交わります。違う生活様式を持った人たちは、突然出くわすとだいたい戦いになります。

 ・・・言葉も習俗も違う人たちです。その両者を結び付けるツールが必要になります。それが「術」です。

「徳」と「法」の方法はストレートでした。しかし、別の生活様式を持つ人たちではそうはいかない。当然だと思うことも当然ではないし、「話せばわかる」なんてことも通用しない。それをうまくコントロールするのが「術」なのです。

「術家」のゴールは目的の達成です。さまざまな手を使って目的を実現させるのが術家であり、手段の合法性や、それが倫理的にどうかはひとまずおき、目的の達成を一番に考えるのが術家です。

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 ・・・道徳・法・術を体現した人が「清節(道徳)家」「法家」「術家」の人たちです。

「清節家」の人は、徳行に優れ、その進退も、また行動もお手本にすべき人たちです。優れた道徳心を持っているだけでなく、心も広いのが「清節家」の人たちです。『人物志』において劉劭は、歴史上の人物で言えば、延陵の季札(紀元前五六一―紀元前五一五、異説あり)・・・を挙げています。

 ・・・彼に関して「季札剣を挂く(季札挂剣)」という故事がありますので、まずはその話を紹介しましょう・・・。

 

 季札が、魯という大国に呉の国の使者として派遣された途中で、北方の小さい徐という国に立ち寄った。徐の国の君主は、季札が腰に帯びている宝剣を見て、そのあまりのすばらしさに「欲しい!」と思った。しかし、それを口に出して言うことはなかった。

 季札も、徐君が欲しがっていることは感じていたが、今はまだ魯の国への使いの途中。宝剣を献上するとはできない。

 魯の国での使者の役目も終わっての帰り道、宝剣を献上しようと思い、徐の国に到着した。しかし徐君はすでに亡くなってた。

 季札は、その宝剣を腰から解いて徐君の墓の樹に掛けて立ち去った。

 従者は「徐君は亡くなっているのに、そんな大切なものを誰に与えるのですか」と言う。

 季札は「いや。私は最初から心の中で差し上げようと決めていた。亡くなったからといって自分の心に背くことができるだろうか」と従者に告げる。

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 どんなにすばらしい宝物でも執着はないし、欲しいという人にはあげてしまう。そして、一度決めたら、相手が生きていようが、亡くなっていようが関係ない。それが季札でした。・・・

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 ・・・季札のエピソードには一つの特徴があります。それは彼が、人も楽も批判しないということです。「すばらしい楽ですね」とか「すばらしい人ですね」とは言いますが、「この楽はダメだ」とか「あなたはここを直したほうがいい」などとは言いません。

 では、季札が出会ったものがすべてよかったかというとそうではありませんでした。季札にとって居心地のよくない場所もありました。そういうとき季札は、それを批判するのではなく静かに立ち去るのでした。