霊魂に肉体が宿る

神と人をつなぐ宇宙の大法則

 まずひな型が作られる、稲葉さん同様、そのほうが腑に落ちます。

 

P64

稲葉 ・・・保江先生の理論では、魂はいつ体に宿るのですか。

保江 受精卵が生まれて分割していくのは、すでに素領域に素粒子というエネルギーが入ってからの出来事なんですよ。

 それとは別に、というか先立って、人間が生まれるときは、まず何もないところに、すでに空っぽの素領域だけで、稲葉耶季なら稲葉耶季の霊魂が形づくられます。空っぽですから、まあ、ひな型みたいなものですね。

 ・・・

 その霊魂は、宇宙の完全調和の一部なんです。・・・そこに、たまたまどこかからエネルギーが回ってきます。・・・

 すると、稲葉耶季の霊魂に肉体が与えられる。受精ではなく受肉です。霊魂というひな型に、所定の決まったエネルギー、つまり、素粒子をどんどんどんどん入れていくことで、初めて卵になり、それが分割していって、稲葉耶季という人間のちっこいのが発生する。まず霊魂ありきなんです。

 ・・・

 ・・・霊魂は、いわばブループリント、青写真、設計図というわけです。設計図は完全調和のほうにあり、それに沿ったひな型というか鋳型のようなものが素領域でつくられ、その鋳型どおりにエネルギーがおさまっていく。

 ・・・

 「肉体に霊魂が宿る」と普通の思想家はいいますが、それは大間違いで「霊魂に肉体が宿る」のです。

稲葉 ああ、そっちのほうが、実は腑に落ちます。

 

P89

保江 ・・・広島県三原の山奥で隠遁生活をされていたカトリックの神父様・・・エスタニスラウ神父様といって、もう亡くなられましたが、実にたくさんのことを教えていただきました。

 その教えの中に、「死ぬときは人間、こうしなきゃいけない」というのがあります。

稲葉 どんなことですか。

保江 それは「俺はもう、やり残したことはない!これでもう自由に死ねる!」と思ってもダメ。

稲葉 ダメなんですか。

保江 ダメ。それは高慢だから。・・・かといって、「俺は悪いことをいっぱいした。恥ずべきだ」と思ってもダメ。・・・

稲葉 どう思ってもいけない(笑)。

保江 で、その神父様の教えは、子供のころ、外で夕方まで遊んで、日が暮れるころに、家にダーッと走って帰って、勝手口を開けて「お母ちゃん、ただいま!おなかすいた!」。これで帰らないといけないと。

稲葉 いやあ、それは至難の業ですね。

保江 至難の業でしょ。しかも死ぬときにですよ。

 ・・・

 もう余計なことは考えず、「ただいまーっ!」。これだけで帰る。・・・

稲葉 無心そのものですね。

保江 そう、無心そのもの。で、至難の業なので、練習方法を教えてくれました。・・・

 いつ練習するかというと、夜寝るとき。・・・

 横になって、「さあ寝るぞ~」というときに、今日のことをくよくよ考えたり、明日のことを「どうしよう」と考えたりしないで、「ただいまーっ!」と寝る。それでいいそうです。それさえやっていれば、「いざ死ぬときにもただいまーって死ねますよ」と神父様はおっしゃっていました。

稲葉 「ただいま」ってどこに帰るのでしょう。

保江 それは、ビールの液体の部分。完全調和。天国。神様のふところ。いろいろな表現がありますが、まあ、もといたところなので「ただいま」と。

 ・・・

稲葉 ところで、先ほどおっしゃった「自我を取る修行」。いつからやっているのですか。何か目的があって?

保江 私が独特の方法で「合気上げ」をしているのはご存じですよね。

稲葉 合気上げは、相手に手を押さえられた状態から、相手の体を跳ね上げる合気道の修練法ですね。先生は、合気道の師範でもいらっしゃって、「相手を愛する」という独特の方法で合気上げを行い、人々にも教えておられますね。

保江 そうです。・・・相手を愛すると、相手は攻撃力が奪われ、力が抜けてたやすく跳ね上げられてしまうんです。

 ・・・

 ・・・それで、我を取る修行をしたのは、愛する代わりに自我を取るという方法で相手を倒せるのではないかと思ったからです。・・・

 ・・・愛するのではなくて、自分の自我体を取ること。そうすると、同じ現象が起こりました。もともと神智学の考え方だと、愛は自我を取ること。つまり、無我の境地が愛といえるのですが、それが確認できました。

 ・・・

 私たちは、人を愛するということを自分の自我を取る方法だと理解したほうがいいのかもしれません。