安田登さんの「すごい論語」が面白かったので、こちらの本も読んでみました。
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天命を知るための具体的な方法は、『中庸』のところでお話ししますが、その前に四書の一つである『孟子』の中の「尽心」を紹介することにしましょう。
孟子は「其の心を尽す者は、其の性を知るなり」と言っています。『中庸』では天命が性だと言っていますので、これは「その心を尽くすと天命を知る」と読んでもいいでしょう。ちなみにこのあとには「其の性を知れば、則ち天を知る」と続きます。
では、「その心を尽くす」とはどのようなことでしょうか。
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・・・「尽(盡)くす」という言葉を文字の形から見てみましょう。
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この字は「刷毛」と、それを持つ「手」、そして「皿」から成っています。これは刷毛でお皿の上を払っている形です。
私たちは「天有大命」として大いなる命を持って生まれてきました。ところがこの上に「お前は勉強できるから何々したほうがいい」とか「そうすると苦労するからこっちにしたほうがいいよ」とかさまざまなゴミが乗ります。そのゴミを掃いていく作業が盡心(尽心)です。
そして、そのための具体的な方法が書かれているのが『中庸』です。
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先ほど『中庸』の冒頭の章句、「天の命ずる(天命)をこれ性と謂う」という文章を紹介しました。私たちの性格(性)というのは天命です。そして、天命は不惑を実践したあとでなければ見つけることができないので、「自分の性格はこうだから」なんて簡単には言わないほうがいいですね。
そして、この「不惑」を実現する具体的方法が『中庸』の後半に書いてあります。
キーワードは「誠」です。
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・・・二宮尊徳のしたことを見ながら「誠」について考えてみたいと思います。
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彼は、疲弊した地域を活性化してほしいと頼まれると、「最低十年はください」と言います。そしてあらゆる公的補助金や助成金を止めます。しかし、実際に困っている人はいます。どうするかというと、自分のお金で助ける。地域開発を依頼されると、その土地に引っ越すのですが、そのときに自分の家や田畑を売って、そのお金を持っていき、それを困っている人に貸します。彼がお金を貸すときには「無利息」「無担保」「無期限」です。
そして、いよいよ地域活性化に乗り出すのですが、その方法は「心田開発」です。耕すのは、まずは地域の人々の心。「心の田」を開発するのです。
その開発時の基本的な考え方が「誠」です。誠は『中庸』の中に出てくる言葉ですが、孔子の時代には「誠」という文字はありません。「成」だけです。
「成」という字を見てみましょう。
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ここにも「惑」のときに出てきた「戈」があります。「成」というのは、武器である「戈」に、呪飾をつけることによって、ただの武器から聖具に変える行為を言います。
ここにあるモノがあれば、そのモノには未来の姿があります。たとえば厚い雲が空にあれば雨が降る。そのときに冷たい空気が流れ込んでいれば雪になる。生ものがあれば腐敗するし、物体ならば数百年、数千年の後には分解されて消失する。
毛虫ならば蝶になったり、蛾になったりする。このように「なるべきものがなるべきようになる」のが「誠(成)」です。
しかし『中庸』は言います。
誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。
(誠者、天之道也、誠之者、人之道也、)
「誠なる者」と「これを誠にする者」。漢文で書くと「誠者」「誠之者」です。「者」は「~は」と同じような意味なので、ここは、
(A)天の道=誠
(B)人の道=これを誠にする
ということです。
『中庸』ではこのあと、この(A)と(B)との違いについて書かれています。・・・
天の道というのはなにをしなくても、そのままで誠です。すなわち「なるべきものがなるべきようになる」。放っておいても、その本来の性質を自然に完成させることができる。でも、それは天の道ですから、人間を超えています。もし、そんな人間がいたらそれは聖人です。
人間は、そのままでは「なるべきものがなるべきようになる」ことはできません。・・・だから手助けが必要なのです。そのゴミを取り除きながら「なるべきものがなるべきようになる」ように手助けをする。その行為が「これを誠にする」という行為なのです。
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でも、ここで大事なことが一つあります。・・・
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どんなに頑張っても心田が開発できない人がいます。そういうときはどうするか。尊徳は、その人には「時々に不足を補い」、そしてその人が、あるいはその家が「困窮しないように援助する(覆墜せざらしむる)」のだと言います。
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怠け者というのも一つの天命です。グダグダ過ごすことが、自分にとっては天命、そういう人もいます。
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たとえば、いつもいつも遅刻する人がいるでしょう。その人にとっては遅刻をするということが天命であり、本性なのです。嘘つきも天命、物をよく失くすのも天命。
『代表的日本人』に描かれる男は、なにもしないのに二宮尊徳からすばらしい家まで建ててもらった。今だったら「ずるい」と言う人がいるでしょう。・・・
しかし、この男がしてもらったことを見ても、人々が「ずるい」と思わない。それこそが「心田開発」です。
この男が我が子だったら「ずるい」と思わないかもしれませんね。皆がそのように思えること、そういう心の田を開発することが心田開発なのです。