自分と自分以外を隔てているものは?

数学する身体(新潮文庫)

「あなたの意識と別のだれかの意識をへだてている唯一のものは、あなたの皮膚かもしれない」、とても興味深いです。

 

P138

「わかる」という経験は、脳の中、あるいは肉体の内よりもはるかに広い場所で生起する。にもかかわらず、自然科学が理性をことさらに強調して、心的過程のすべてを脳内の物質現象に還元しようとすることで「人の心は狭い所に閉じこめられてしまっている」。岡潔は、このように嘆いた。

 この身体、この感情、この意欲といえば本来はすむところを人はなぜか、自分のこの身体、自分のこの感情、自分のこの意欲と言わずにはいられない。ところが数学を通して何かを本当にわかろうとするときには、「自分の」という意識が障害になる。むしろ「自分の」という限定を消すことことが、本当に何かを「わかる」ための条件ですらある。

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 私たちは本来、生まれつき他者と共感する強い能力を持っている。一九九六年にイタリアのジャコモ・リゾラッティらがサルの実験で「ミラーニューロン」を発見して話題を呼んだ。サルがたとえば何かものを持ち上げる動作をすると、それに伴って脳の一部分が活動をする。ところが驚くべきことに、その同じ脳の部位の一部分が、他のサルが何かを持ち上げる動作を見ているだけでも活動するのだ。自分が運動をしているときだけでなく、他者の運動を見ているときにも、その運動をさも自分がしているかのように脳が活動するのである。このように、他者の運動を模倣(mirror)する機構が脳の中にあることを、彼らは明らかにした。

 ミラーニューロンに関連して、ラマチャンドランという脳科学者が大変興味深い実験を遂行した。ミラーニューロンは実は、他者の運動だけでなく、他者の「痛み」をも模倣する。たとえば、目の前の人の手が金槌で思い切り叩かれるところを見たら、こちらまで思わず手を引っ込めてしまうだろう。目の前の人の「痛い!」という感覚を、見ているこちら側のミラーニューロンがコピーしてしまうからだ。それで思わずこちらも手を引っ込める。が、もちろん、本当に痛いわけではない。

 ラマチャンドランはここに着目した。ミラーニューロンは、他者の運動や感覚を模倣する。他人が痛がっているときに、自分が痛いときに活動する脳の部位の一部分が発火している。ならばなぜ、こちらは本当に痛くならないのだろうか。

 ラマチャンドランは、手の皮膚や関節にある受容体から「私は触られていない」という無効信号が出て、ミラーニューロンからの信号が意識にのぼるのを阻止しているのではないか、と推測し、アイディアを検証するためにハンフリーという、湾岸戦争で片腕を失った幻肢患者に協力を依頼した。

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 ラマチャンドランは・・・ハンフリーに、ジュリーという別の学生を見てもらいながら、ジュリーの手をなでたり叩いたりしてみせた。すると、ハンフリーは驚いた様子で、ジュリーの手がされていることを自分の幻肢に感じる、と叫んだ。

 ラマチャンドランの予想通りの結果だった。ハンフリーのミラーニューロンは正常に活性化されたが、それを打ち消す手からの無効信号がないので、ハンフリーのミラーニューロンの活動が、そのまま意識体験として現れてしまったのである。

 ラマチャンドラン自身が「獲得性過共感」と名付けたこの現象は、幻肢患者でなくても、健常者の腕に麻酔を打つだけでも再現できることがわかった。麻酔によって、皮膚からの感覚入力を遮断すると、誰もが文字通り、目の前の人と痛みを共有してしまうようになる。

「あなたの意識と別のだれかの意識をへだてている唯一のものは、あなたの皮膚かもしれないのだ!」とラマチャンドランは印象的な言葉でこの実験の報告を締めくくっている。

 この実験は、私たちの心がいかに他者と通い合い、共感しやすいものであるかをまざまざと示している。脳の中に閉じ込められた心があって、それが環境に漏れ出すのではなく、むしろ身体、環境を横断する大きな心がまずあって、それが後から仮想的に「小さな私」へと限定されていくと考えるべきなのではないだろうか。