大いなる何かにつながる

直観を磨く 深く考える七つの技法 (講談社現代新書)

 こういう説明だと、スピリチュアル的なことに抵抗のある方にも、自然に読んでもらえるのかなと興味深かったです。

 

P157

 例えば、版画家の棟方志功は、自らの作品を評して、「我が業は、我が為すにあらず」という言葉を残している。すなわち、それは、「自分の作品は、自分が創ったものではない。大いなる何かに導かれて生まれてきたものである」という意味であろう。

 また、名曲「戦場のメリークリスマス」で知られる音楽家坂本龍一氏は、この曲が生まれた瞬間について、ある対談で、次の興味深いエピソードを述べている。

「この曲は、二週間程度の作業の後、突然意識がなくなって、目が覚めたら譜面が書いてあったんです。ハーモニーの調整はありましたけど、まさに自動書記みたい、自分が作った気がしないんですよ…」

 このように「天才」と呼ばれる人々の多くは、自分の仕事や作品が「大いなる何か」と繋がることによって、導かれるように生まれてきたという感覚を持っているのである。

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 ここで重要なのは、・・・「大いなる何か」に繋がることによって「降りてくる」と感じているという事実であり、そのことが、「自己限定の払拭」と「隠れた才能の開花」という点で、重要な意味を持っているのである。

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 すなわち、・・・それはそのまま「自分の力を、自分という小さな自己の内部に限定しない」という意識、すなわち、「自己限定をしない」という意識に他ならない。

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 では、なぜ、現実に、我々は、何かの発想やアイデアが「降りてくる」という感覚を抱くのか、なぜ、我々は、ときに不思議な「予感」や「直観」が働くのか。

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 ・・・「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事の情報が記録されているという仮説である。

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 ・・・この仮説は、この宇宙の出来事のすべての情報が、「ゼロ・ポイント・フィールド」の中に、「波動情報」として記録されているという仮説である。

 しかも、それは、「波動干渉」を利用した「ホログラム的な構造」で記録されているというのである。

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 ・・・量子物理学的に見るならば、我々が、「硬い物質」と思っているものも、「目に見えない精神」と思っているものも、その本質は、すべてエネルギーであり、波動だからである。

 例えば、ガラスを鉄の棒で叩いて、それが硬い物質に感じるのは、鉄原子という波動エネルギーの塊が、ガラスを構成するシリカの原子や酸素の原子の波動エネルギーの塊と反発するからである。また、我々の意識や精神というものが、脳内のニューロンの電気信号であるならば、それもまた、波動エネルギーに他ならないからである。

 すなわち、この宇宙の出来事とは、それが銀河系宇宙の生成であろうが、地球という惑星の誕生であろうが、ローマ帝国の滅亡であろうが、あなたの今朝の食事であろうが、その食事が美味いと思ったことであろうが、その本質は、量子物理学的に見るならば、すべて波動エネルギーなのである。

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 ・・・昔から「天才」と呼ばれる人々が「繋がっている」と感じてきた「大いなる何か」とは、人類の歴史始まって以来のすべての叡智が記録されている、この「ゼロ・ポイント・フィールド」であり、昔から多くの人々が、神、仏、天という言葉によって、その存在を信じてきた「大いなる何か」とは、この宇宙の出来事がすべて記録されている「ゼロ・ポイント・フィールド」であるのかもしれない。

 そして、我々の心の奥深くにいる「賢明なもう一人の自分」とは、この「ゼロ・ポイント・フィールド」=「大いなる何か」に繋がることのできる「特殊な心の状態」の自分を意味しているのかもしれない。