チューリングテストで有名なチューリングさんのエピソードがありました。
戦争中にこの行動って、ぶれない度合いがすごいです(;^_^A
P109
チューリングは、自分の心に照らして明らかに真実と思えること以外は決して信じようとしない人だった。そこに「空気を読む」という発想は微塵もない。
何事も原理的に思考する性格は、科学者としては誇るべき美徳だが、社会との摩擦を生むこともしばしばだった。たとえば第二次大戦のさなか、国民防衛軍(Home Guard)への入隊を志願したチューリングは、「国民防衛軍の地域部隊に登録することは、責任をもって軍事訓練をすることであると理解しているか」という質問に対して、入隊を希望する正式な文書の中で「ノー」と答えた。
単純にライフル銃の使い方を身につけたかっただけの彼は、その質問にイエスと答えることが、いかなる条件においても自分のためにならないと判断したのだ。
ひとたびライフル銃の使い方を覚えると、たちまち訓練に関心を失い、日々の行進などに参加することを止めた。そんな態度が指揮官の怒りを買い、ついには法廷に呼び出されてしまう。
「チューリング二等兵、あなたは最近の八回の行進に一度も参加していないというのは本当かね」
「はい」
「これが非常に重大な違反であることはわかっているのか」
「いいえ」
「いいえ。しかし私の国民防衛軍の登録申請書に、自分が軍事訓練に参加することに同意しないと書いております」
申請書が持ってこられ、それを読んだフィリンガム大佐は激怒して、
「おまえは間違って入隊したんだ、すぐに出て行け!」と言うのがやっとだった。
(「チューリング 情報時代のパイオニア」B・ジャック・コープランド)
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チューリングが生前、最後に発表した論文は『解ける問題と解けない問題』と題されている。彼はその中で、数々のパズルを紹介しながら、任意のパズルが解けるかどうかを判定するような機械的手続きは存在しないと、論じている。解けるパズルが「解ける」のだということは、そのパズルを実際に解いてみせることによって示すことができる。ところが、パズルが「解けない」ことを立証するのは、必ずしも容易ではない。
解けるパズルと解けないパズルを、あらかじめ機械的にふり分けることができれば、人は「このパズルは本当に解けるのだろうか?」と悩む必要はなくなるが、そうしてすべてのパズルを、あらかじめ一挙に峻別するようなアルゴリズムは存在しないと、チューリングはこの論文の中で説いているのだ。男女や、機械と心の区別が自明でないのと同様に、解けるパズルと解けないパズルの境界も、そう簡単には判定できない。
数学が人の心を惹きつけてやまないのも、それが、解けるか解けないか、あらかじめ判定できないような「パズル」に満ちているからである。
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しかし彼が、いかなる難問を前にしても、常に「解ける」方に賭けて挑み続けたことだけは確かだ。不安の中に、すなわち間違う可能性の中にこそ「心」があると、彼は誰よりも深く知り抜いていたからである。
ところで3日ほど、ブログをお休みします。
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