皮膚感覚と人間のこころ

皮膚感覚と人間のこころ (新潮選書)

 たけしさんとの対談がおもしろかったので、

光や音を感知する皮膚 - シェアタイム

 こちらの本も読んでみました。

 

P131

 ・・・多くの人が暗黙のうちに、時間の流れの中で変化はするが、どこかでつながりを持つ一連の自己意識というものの存在も、認めているように思われます。風邪をひくと、健康な時に比べて人は確かに悲観的になるかもしれません。しかし健康な時の自己と風邪をひいた時の自己は、乖離した別物ではない、そのように考える人が多いのではないでしょうか。

 そのような自己、身体の状態、環境によって変化する意識をつなぐ「自己意識」、その実体は何なのでしょう。

 進化心理学者のニコラス・ハンフリー博士は、進化の過程でそのような「自己意識」が形成されてきた、と説いています・・・ハンフリー博士はまず感覚と知覚を区別します。感覚は単細胞生物でも持っています。ゾウリムシが自己の生存に不利な環境因子、例えば熱や塩分濃度を感知し、それを避ける運動をはじめる。これが感覚です。ハンフリー博士は感覚を環境因子に対する局所的な反応であると定義します。一方、脳が感覚器からの情報を認識することを知覚と定義します。一見、感覚と知覚は同じものに見えます。しかし、それは、感覚と知覚が同時に現れることが多いため、我々が混同しているだけだとするのです。私が熱いものに触れた時、反射的に手を引っ込めるのが感覚による応答であり、「熱い」と感じるのが知覚です。ですから脳がなければ知覚はありえません。

 多細胞生物が現われ、全身にいきわたる神経網が形成されるようになると、感覚で得られた情報を再構築しはじめます。それは、大きくなった個体が、環境の変化に対して、より効率よく対処するために有効な手だてです。そのように処理された感覚情報をハンフリー博士は知覚と定義します。そして進化に伴って複雑になった知覚を統御するために「自己意識」が必要になってきた、というのです。個人の意識は物理的な実体のあるものではなく、様々な脳の生理学的状態であって、それ以上のものではないのです。

 しかし、そこに、オーケストラの指揮者のような存在を仮定すると、複雑になった人間の知覚の制御に役立つとハンフリー博士は主張します。昨日、風邪をひいていた私と、風邪が治った今日の私が、同じ存在であると考えなければ、例えば、これからは風邪をひかないように注意しよう、というような対処は生じてこない。昨日の私、今日の私、明日からの私が同一の存在であるという意識を持つことによって、私は過去の経験から、未来へのより効率的な生存を選択できるのです。人間の自己意識とは、そのような生物学的合目的性から脳が作りだした一種の調整システムであるといえます。生理学的には、例えば感覚の固定化、つまり神経細胞のネットワークにおいて変化しないように処理された記憶が、自己意識の本質ではないでしょうか。

 ・・・

 ハンフリー博士は、「自己意識」は、進化の過程におけるごく新しい時代に成立したと考えているようです。しかし私は、単細胞生物が集合し始めた段階で原始的な「自己意識」が出現したと考えています。

 中垣俊之博士らによる一連の粘菌の研究に対して・・・粘菌に「知性」があるような印象を持った人もいるようです。例えば迷路の中に粘菌を置くと、細胞分裂を伴わない分裂を繰り返し、やがて多数の核を持つ原形質の塊になって迷路全体に広がります。その後、入口と出口に食物を置くと、アメーバ状の粘菌は入口と出口を結ぶ最短経路をつなぐ形になります。・・・私は、この粘菌の「知性」と私の「自己意識」は、生物学的には同じ次元にある現象だと考えているのです。