違う考え、違う立場

もっと! 京大変人講座 (単行本)

 宇宙物理学の嶺重慎さんの、国によって研究環境がこんなに違うというお話も興味深かったです。

 

P182

 私の海外修業時代の始まりはドイツでした。その後、アメリカ、イギリスの順に渡りました。三つの国は、それぞれ天文研究の分野ではトップクラスの先進国なのですが、それぞれに違った特徴があります。

 ドイツ(ミュンヘン)は研究も大事だけど、ウィークエンドライフが非常に充実していて、芸術に精通する研究者も多いのが特徴です。

 アメリカは研究者の数も、研究に投入される金額も他国を圧倒的に引き離していました。アメリカでの私は、ドイツ時代とは一転して(ウィークエンドライフを返上で)働き詰めのハードな日々を過ごすことになったのです。

 そして、さらに朝から晩まで研究に没頭しているのがイギリスでした。

 イギリスのケンブリッジ大学は、天文学の研究に関しては世界最高峰の水準です。ただ、アメリカと決定的に異なるのは貧乏だということ。ケンブリッジ大学の教授でも、給料はアメリカの大学教授の三分の一程度にすぎません(噂です!)。週末には冬でも暖房が切られて、教授もコートを着たまま研究しています(実話です)。

 優秀な人材が高額な報酬でアメリカに引き抜かれていくのを横目に、それでもお金では動かない、本物の研究者が必死で日々研究に取り組む。そんな姿が印象に残っています。

 特にケンブリッジ大学の研究者たちが重視していたのが、幅広く奥深い議論です。

 みなさんは、研究者がどのように学問を構想していると思いますか?本がうず高く積まれている研究室にこもって、机に向かってストイックに一人じっくり考える。そんなイメージが強いかもしれません。

 けれども、実際は違います。ケンブリッジ大学では、午前一一時に「コーヒーの時間」があり、全研究者・学生・ゲストがわらわらと大部屋に集まってきて、お茶を飲みながら三々五々分かれてあれこれと議論をします。セミナーや講義をはさんで、昼食をとりながらも議論、午後四時には、今度はお茶(紅茶)の時間が始まり、またもや議論。

「こんな論文あったけど、あなたはどう思う?」

「この観測についてはこう思ったんだけど、どうかな?」

 などと意見交換をしているうちに、全然違う考えの持ち主に触発され、アイデアがどんどん浮かんできます。そのアイデアを持ち帰って一人で検証し、それを次回の議論で提示して反応を確かめる。そうやって学問をしているのです。

 私自身、海外で研究をするうちに「学問って、こうやって生まれていくんだ」という感覚を体得できたと思っています。

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 私は「インクルーシブ天文学」という考え方の実践に従事しています。「インクルーシブ天文学」とは、国籍、民族、人種、ジェンダー、年齢、障害の有無などを問わず、あらゆる人と共に推進する天文学のことです。

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 すでに、世の中では「ダイバーシティが重要」とか「多様性を認めて受け入れましょう」といった主張が叫ばれています。

 けれども、現実の場面では、障害者に対する非障害者(健常者)の対応は、だいたい次の言葉に集約されます。

「かわいそう」「でも、頑張っている」

 これは、自分と異なる人を理解しているようであって、実は自己中心的な発想に陥っていることにならないでしょうか。自分の目線から見て何かができないことを「かわいそう」と思い、自分と同じようなことができたら「頑張っている」と評価する。思考や判断の中心が自分自身に固定化されています。

 そうではなくて、目指したいのは視点の転換です。自分の立ち位置を変えて、相手の立場で考えようとする意識の変革が重要です。

 もちろん、相手の立場など想像しただけで理解できるわけなどありません。わからないなら教えてもらえばいいのです。障害者の方に聞けば、たくさんのことを教えてくれます。「わからない」という自覚がすべての出発点です。そう、他人のことはわかるはずがないのです。でも「わかったつもり」になると、その後の理解が進まなくなります。

「わからない」と自覚して、自分とは異なる知識を持っている人のところに行き、「わからないので教えてください」と素直に聞く。これこそが多様性理解であり、学問の基本でもあるのです。

 私は視覚障害者の友人(広瀬浩二郎さん)が、「視覚を使えない不自由ではなく、視覚を使わない自由」と語っていたのが印象に残っています。そんなふうに障害者から教えてもらった一つひとつのことが、自分のかけがえのない宝になっています。