語学の天才まで1億光年

語学の天才まで1億光年(集英社インターナショナル)

 高野秀行さんの語学探検記?

 メジャーじゃない言語、地域や人ばかり出てきて、面白かったです。

 

P83

 現地の共通語であるリンガラ語を話すことによって、桁ちがいのスピードと深さで<コンゴ>の人たちと親しくなる方法を確立した私たちだったが、まもなくこの効きすぎる薬の強烈な副作用に悩まされ始めた。

「親しくなる」とは、互いの距離が近くなることであるが、日本人と<コンゴ>の人たちでは距離感がちがう。近くなるどころか、どんどんこちらの中に(精神的・物理的両方で)入ってくる。

 リンガラ語で大受けして、あっという間に友だちになってしまうのはいいが、そのあとにビールをおごれだとかカネを貸してくれとかいう無心がやってくる。

 用もなくホテルの部屋に人が訪ねてくることにも悩まされた。

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 ザイールの首都キンシャサは夜中でも外国人が普通に外を歩けるほどで、治安が特別悪くはなかったが、ホテルのセキュリティは甘かった。私が泊まっているような一泊一五〇〇円程度の安宿では、「部屋に荷物を置いておいたら貴重品が盗まれた」とか「スーツケースの鍵をこじ開けられた」という話を他の外国人旅行者から耳にしていた。

 ただでさえそのような状態なのに、私たちの周りにはいつも有象無象がうろうろしているから心配だった。しまいには「俺は実はときどき旅行者のものをいただいている」と〝自白〟する男とも「モニンガ(友だち)」になってしまった。彼は「この前盗みを働いたとき警察を呼ばれて慌てて逃げた」とか「盗んだあとブツの分配をめぐって仲間と喧嘩になった」とかいう愚痴を私にこぼす始末で、向こうは私に気を許してくれているようだが、私の方はなかなか気を許せないのだった。

 悪徳警察官二人組に拉致されたこともある。<コンゴ>では乗り合いタクシーというものがあり、同じ方向に行く客が一台のタクシーに文字通り乗り合う。車内の他の客とも挨拶を交わし、会話する。

 ここでもリンガラ語で話すと受けるので毎回そうしていたら、あるとき先に乗っていた二人の客が警官だった。私がリンガラ語で挨拶すると、「アッ!おまえ、リンガラ語を話すのか!」「ワーオ!」とウケたところまではいつもと同じだったが、次の展開は予期できなかった。「パスポートを見せろ」と言い、見せたところ、「パスポートにキンシャサの滞在許可スタンプがない。罰金五〇〇ドルだ」などと難癖をつけるのだ。私が拒否したらタクシーのドライバーを脅してそのまま郊外へ走らせた。

 キンシャサの警官はタチが悪いことで有名だ。「強盗に遭い、被害届を出しに警察へ行ったら、その強盗が勤務していた」なんて話も聞いたことがある。警官には絶対にさからってはいけないというのが常識だった。

 どこかわからないエリアをタクシーに乗ったまま連れ回され、しまいにはバーでビールをおごったうえ、小銭を渡さざるをえなかった。まあ、それだけで済んだのでまだよかったのだが。

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 いっぽう、キンシャサの対岸にあるコンゴの首都ブラザヴィルでは別種の問題が生じた。コンゴは長らく「鎖国」に近い状態にあった社会主義国なだけに治安はよかったが、観光ビザを取得するのが面倒な国なので外国人のバックパッカーはめったに来ておらず、安宿というものがなかった。安くても日本円で一泊五〇〇〇円以上もするので、予算の乏しい私たちには辛かった。ただ、その代わり、きれいなベッドが置かれ、エアコンが利いている。

 ここでも私たちは積極的にリンガラ語を話し、瞬く間にホテルのスタッフと仲良くなった。彼らはキンシャサの安宿の従業員よりはきちんとしているし、物腰も柔らかい。

 ところが二、三日もすると彼らは用がなくてもしょっちゅう部屋に遊びに来るようになり、しかもなかなか帰らない。あげくには、こちらが日中、ムベンベ探査の許可を得るために白いシャツを着て森林省や情報省を回ってへとへとになってホテルに戻ると、彼らがエアコン全開にしてベッドに腰掛け、ぷかーっとタバコをふかしてくつろいでいるという有様だった。ゲストルームの鍵を持っているから、彼らはいつでも自由に入れるのだ。

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 部屋があまりに快適だったからだろう。やがて、彼らは自分の友だちまで招くようになり、私たちの居室は地元の若者たちの溜まり場みたいになってしまった。あるときなど、私たちが帰ると、女の子二人ほど交えてみんなでビールを飲んでいた。「きゃあ!」と嬉しそうに手を振る女の子に「おう、遅かったじゃないか」などと言う男子たち。自分たちがまるで飲み会に遅れてやって来たみたいな錯覚に陥ったほどだ。私たちの部屋なんだが……。

 ここまで親しくならなくてもいいだろう。