「寂庵だより」の文章を集めた本を読みました。
印象に残ったところです。
P13
九十二歳頃から、私は急に病気がちになり、心ならずも入退院をくり返すはめになっている。
それでも、いつの時も、病気に勝ち、死なずに退院してくる。仏さまが守って下さっているからだと、人からは言われるが、私は守ってもらう程、仏さまを忠実に拝んでいない。そのことを一番御存じの仏さまが、まさか私を病気から助けて下さると思う程、厚かましくはない。
なぜ私は病気をしても死なないのかと思いめぐらすと、一つの答えが出た。
私は病気が嫌いである。病気になった自分を見苦しいと思い、一日も早く、その状態から逃れたいと思う。病気を呼ぶ自分の老衰も嫌いである。・・・これ以上見苦しくならないうちに、死んでしまいたいと思う。ただし、痛い目にあったり、苦しんで死ぬのはごめんだ。一番最近の心臓の手術の時は、医者にそれを告げられた時、
「私は九十五まで生きて、もうこの世は充分です。手術しなければ死ぬなら願う所です。どうか、手術はやめて下さい」
と言った。医者は泰然とした顔つきで、
「はあ、それなら、やめてもいいですよ。でも死ぬ時、とても痛いし、苦しがりますよ」
と言われる。それを聞いたとたん、痛さに極度に弱い私はたちまち豹変して、
「手術してください」
と言っていた。手術は痛くも痒くもなく終った。こうして、私は病気をしてもその度死なないで帰ってくる。その原因をつらつら考えると、何時の時も、私は楽な方へと希望して、苦より楽を選んでいるせいではないかと結論した。
P16
九十歳まではよく人に、
「どうしてそんなにお元気なのでしょう」
と訊かれる度、
「元気という病気なんです」
と答えていた。
ところが九十を越してから、あちこちが悪くなり、入院したり手術したりすることが多くなった。入院する度、病院の食事のまずさや、不便さにうんざりして、仕事の出来ないことに憂鬱になる。気がつくと、まさしく鬱になりかけている。あわてた私は、鬱をよせつけまいと、あれこれ対策した。
まず自分が愉しくなることを見つけること。私の場合は、仕事をすることだ。それが病気で出来ないのが、今の鬱の原因なのだ。仕事の結果として本が出ること。それも今は出来ない。その時、ふっと思いついた。
そうだ、俳句の本がまだ出ていない!
俳句は、元来、才能乏しく下手なので、本を出すなど考えたこともなかった。しかし、このまま死んだら、あのわずかの私の俳句はどうなるか。よしっ、これは自費出版で出そう。たちまち私の決心はまとまった。題は『ひとり』(深夜叢書社)。
出来てみると、思いの外のすてきな本になり、評判もなかなかよろしい。いつの間にか私の鬱はどこかに消えてしまっていた。
P270
いつ、誰にもらったものか、引き出しの奥からこんな紙が出てきた。
一枚の半紙大の紙の右上端に鶴の絵があり、左下端に亀の絵がある。
大きな字で紙一杯に刷ってある文字は次の通りである。
人の世は山坂多い旅の道
年令の六十に迎えがきたら
還暦 六十才
とんでもないよと追い返せ
古希 七十才
未だ未だ早いとつっぱなせ
喜寿 七十七才
せくな老楽これからよ
傘寿 八十才
なんだまだまだ役に立つ
米寿 八十八才
もう少しお米を食べてから
卒寿 九十才
年令に卒業はない筈よ
白寿 九十九才
百才のお祝いが済むまでは
茶寿 百八才
まだまだお茶が飲み足らん
皇寿 百十一才
そろそろゆずろうか日本一
念ずれば花ひらく
人生万歳
とある。
読み終わって、ひとりで笑ってしまった。
P339
六月下旬、突然、出先で泥酔して真夜中に帰庵し、翌朝気がついたら、二階から落っこち右半身、顔から足先まで打って大けがをしていた。
それを朝まで気づかなかったことが大問題である。同居者たちが大騒ぎして、病院につれていかれた。私はみっともないので厭だと言ったが、頭を打っていたら、どうする?といわれ、それもそうだと、病院へ行った。みるみる顔半面がはれ上がり、お岩さまのように目から頬、顎まで、まっ黒になっていた。
医者は呆れた顔で診察してくれ、開口一番、
「いや、実にお若いですね」
と言う。
「何が若いのですか?」
「八十六歳で、これほど泥酔する人なんて、全くいないですよ。私の母が同じ八十六歳ですが、比べ物にならない」
ほめられているのではなく、からかわれているのだとわかって、私も笑ってしまった。