日本でわたしも考えた

日本でわたしも考えた:インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と

 外交官の夫の転勤に伴って、英国、中国、ベルギー、インドネシアと移り住んできたインド出身のジャーナリストによる日本滞在記。

 政治的な話や比較文化的な話など、興味深く読みました。

 こちらは驚いたという話をよく聞く落とし物のエピソードです。

 

P27

 日本で過ごした歳月で、夫は京都のタクシーでiPhoneを忘れ、わたしの兄は北海道のホテルのロビーでパスポートを忘れ、わたしも羽田空港に向かうモノレールでデータをバックアップしていなかったラップトップPCを置いてしまったことがあった。これ以外にも、わたしたちは傘やジャケット、帽子を「なくしてしまう」ことがよくあった。

 どの落とし物も、必ず戻ってきた。ジャケットの件は、わたしがスーパーから自転車で帰宅する途中で籠から落ちてしまったのだが、見ず知らずの通りかかった方が丁寧に折りたたんで道路脇に置いてくださっていた。・・・

 日本に着いて二度目の月曜日、わたしは時計のアラームが鳴るなかで目を覚ました。その日は新学期初日で、子どもたちを早めに連れていって落ち着いて過ごせるよう手助けをしたいと思っていた。わたしたちは大急ぎで朝食を済ませ、制服にシワが寄っていないかチェックした。わたしはハンドバッグをつかみ、財布を探そうと中をあさった。地下鉄の切符を買うのに十分な小銭があることを確かめておきたかったのだ。

 わたしは手を伸ばしてゆったりとしたバッグの中を探した。手指消毒液、ティッシュペーパー、ペンが何本か、イブプロフェン、リップペンシル、サングラス、染み落とし、切り傷のための消毒用軟膏、ヘアブラシ、名刺入れが入っているのはわかった。しかし、財布だけは見当たらなかった。財布をなくしたときに、それを自分が意識する前に生じるあの冷たい瞬間を描写する表現があってしかるべきなのではないだろうか。

 ・・・

 わたしの財布には米ドルと日本円で現金が少し入っていた。これは諦めることになっても仕方がない。しかし、異なる三つの国の銀行で発行されたクレジットカードも入っていて、こちらは利用停止手続きを取ると、発行国内のATMで新しい初期設定用暗証番号を入力しない限り、カードが再発行されてもアクティベートできなくなる。東京で対応できる話ではなくなってしまうのである。もっとも深刻な問題は、財布には日本の外国人登録証も入れていたことだった。再発行時の官僚的な書類処理作業の煩雑さから、絶対になくさないようにと注意を受けていた貴重品だ。

 子どもたちは夫が送っていくことになり、わたしは家中をひっくり返して財布を探し回った。わたしは泣いていた。まったく初めての国で新生活をスタートさせるのは、それだけで大変な作業だ。・・・

 わたしは必死に記憶をさかのぼり、最後に財布を見たときのことを思い出そうとした。その結果、それは二日前の土曜日、友人を訪ねるため市内を移動したときのことだという否定できない結論に至った。自分が通った道をたどって、使った二つの地下鉄駅で落とし物係に訊いてみたが、徒労に終わった。わたしは家の近くをあてどもなく歩き、凝視することで財布が浮かび上がってくるかのように地面を見つめていた。

 ついに諦めてわたしは家に帰った。打ちのめされた気分でソファですすり泣きをしていると、電話が鳴った。プリーティからだった。二〇年近く東京に住むインド人だ。・・・彼女は気が動転して早口で繰り出されるわたしの苦境話を散々聞かされることになる。

 プリーティは交番に届出を出してはどうかとアドバイスしてくれた。当時のわたしには、これは少々不可思議な提案に見えた。何かをなくしたときに警察に行く?どうしてまたそんなことを?インドで警察と言えば、賄賂を渡して自分に関わらないようお願いする存在だ。・・・

 ・・・

 ・・・夫とわたしはプリーティのアドバイスを受け入れ、最寄りの派出所―日本では「交番」と呼ばれる―まで行くことにした。そうすることでうまくいくと考えたからではなかった。何かしらできることがこれだったというだけで、どんなことであれ財布をなくしてしまうという自分の愚かさに思いを巡らすだけよりましだと考えたのだ。

 交番はマンションから二〇〇メートル離れた場所にあり、・・・ここを担当していたのは、・・・二人の若い警察官だった。・・・

 ・・・ジュリオは二〇年以上前に大学で半期間、日本語を学んだことがあり、果敢にもブロークンジャパニーズで事情を説明しようと試みた。夫のよくわからない言葉に対し、警官は「ウォレット」という単語をキャッチするまで、礼儀正しく表情を変えずに耳を傾けてくれた。彼らがこの単語を理解したことは明白だった。そして遺失物対応となれば、彼らの超得意分野だ。警官はヒーローのマントをまとっているかのように見えた。すぐさまわたしたちに椅子を勧め、数々の項目が並ぶ用紙に最後に財布を見たときのことやなくなった財布がどうなったと思うか、それに―ベルギーとは違って―連絡先をすべて記入してほしいと言ってきた。

 警官の一人が記入を済ませた用紙を手に取り、とくに説明することなく何件も電話をかけ始めた。・・・惨めさにやられすっかり元気を失っていたわたしは、「ああ、そーう」という警官の声をぼんやりと聞いていた。・・・

 ・・・

 わたしは口を閉じ、警官の話す言葉に神経を集中しようとしたが、意味が理解できる単語は一つも聞き取ることができなかった。警官はひとしきり話をした後に電話を切り、ジュリオに向かって日本語で話を始めた。わたしは彼の表情から情報を読み取ろうとしたが、何一つ変化はなかった。

 ジュリオがわたしのほうを見た。「どうしたって?」わたしは叫びたい衝動をこらえながら尋ねた。何もわからないままでいるのが嫌だったのだ。「どうやら」ジュリオがゆっくりと言った。「警察がきみの財布、見つけてくれたみたいなんだよ」。わたしは息を切らせながら笑った。うちの夫、なんてことだろう!彼の日本語は、わたしが思っていた以上にひどいレベルに違いない。「ねえあなた、この人は仮に財布が見つかったとしたら、わたしたちに知らせてくれるって言ったんだと思う。日本語のレッスン、すぐにでも始めたほうが絶対にいいわ」。わたしはそう言って、パートナーに愛情のこもった視線を投げかけた。

「いや」と、断固とした口調でジュリオが言った。「ぼくたちはここに書いてある、別の警察署に行かなくちゃならないんだよ」。交番の警官はジュリオに地図を渡し、今いる場所からおよそ一キロ離れたところにある場所を指さしていた。ぼおっとした状態で、いま起きていることに十分な確信を持っていたわけではなかったが、わたしたちは指示された場所に向かって歩いて行った。

 二〇分後、わたしたちは六本木にある大きな警察署の前にいた。・・・わたしたちは階段を上って広々としたオフィスまで行き、交番の警官が作成した紙をきびきびとした女性警官に手渡した。彼女は紙を一瞥すると、踵を返してスチール製のロッカーが並ぶ方へ進んで行き、そのうちの一つの鍵を開けてトレイを引き出した。そこにあったのは、濃いオレンジ色のわたしの財布だった―それも奇跡的に無傷な状態で。わたしたちは中身を確認するよう指示された。現金からクレジットカードまで、すべてが元のままだった。

 五分後、わたしは外に出て午後の照りつける日差しの下で、この顛末のとてつもない特異さに呆然とした気持ちを抱いていた―二日前になくした財布が、警察に届出をしてから一時間以内に戻ってきたのだから。具体的に財布がどうやって見つかったのかまでは会話の中で理解できなかったが、どなたかが路上で拾って届けてくださったことだけは把握できた。

 このような顛末だったのだが、この奇跡はどうやってもたらされたのだろうか?・・・

 日本滞在中の歳月で到達した結論はこうだ―信頼は信頼を生み、善き行いは別の善き行いをもたらす、と。自分が落とした貴重品を誰かがわざわざ警察まで届けてくれたら、将来誰かのために同じことをしてあげようという気持ちがきわめて強くなるだろう。つまり、市民が正しく行動していることの結果というわけだ。

 ・・・

 日本の社会規範には、安全や信頼、清潔さ、時間に対する几帳面さといったように、ユートピア的な側面がある。しかしコインの裏側には個性や自発性に対する抑圧といった、ディストピア的側面がある。日本人は笑うときに口を手で隠すことすらあるが、これはまるで喜びを自分の中から飛び出さないようにしているかのようだ。・・・