群ようこさんのエッセイ、おもしろかったです。
このおばあさんのお話、こんな風だったらいいなあ・・・と思いました。
P57
私の祖母が、一九九六年、九十六歳で亡くなった。・・・彼女は、
「足腰が立たなくなると、どこにもいけなくなるからね。運動、運動」
といって、とにかく歩き回っていた。九十二歳を過ぎてやっとやめたが、町内会の旅行にも参加し、自分の子供くらいの人々と、温泉に行ったりするくらい元気であった。
「ぼけないで、ぽっくり逝くのが、いちばんいいねえ」
といっていたのだが、その通り本当にぽっくり逝ってしまったのである。
祖母は私の伯父夫婦と同居しており、家庭内でやるべきお仕事が割り当てられていた。家の周囲を掃き清めるというのが、祖母のお仕事である。その日も彼女は、朝、起きて近所の人と挨拶を交わし、雑談をしつつお仕事を済ませ、伯父夫婦と朝食を食べた。伯父の家には、食べたあとの食器は自分で洗うというきまりがあり、もちろん祖母も食事を終えたあと、食器を洗い、ソファに座って休んでいた。伯母はその間に洗濯をし、洗濯物の籠を抱えて、
「お義母さん、洗濯物を干してきますね」
とソファに座っている祖母に声をかけた。
「はい、ごくろうさま」
祖母はそういって、のんびりしていた。洗濯物を干し終わって部屋に戻ったら、祖母が寝ている。天気がいいから、うたた寝しているんだなと、伯母はしばらくそのままにしていたが、どうも様子がおかしい。あわてて医者を呼んだら、すでに祖母はあの世に移っていたのである。
私たちは、祖母がだんだん弱ってきたという話を聞いてはいたが、日常生活に支障があるわけではないので、
「それは仕方がないことだよね」
と漠然と納得していた。年齢を考えればいつお別れがきてもおかしくないのではなるが、まさかその日がそうなるとは、みんな想像もしていなかったのである。
私は母親から、その日の午後に電話をもらった。思わず出た言葉は、
「あら、まあ」
だった。覚悟はしていたつもりだが、あまりに突然すぎたので、悲しいというよりも、あっけにとられたのである。それは母親も同じだったようで、ただびっくりして、
「あら、やだ」
といってしまったといっていた。なかには旅行中だった親戚もいて、
「あらあらあら」
と一同、大騒ぎになったのである。
・・・
八十二歳までパートタイムで働き、それ以降は家にいるときは衛星第一放送をつけっぱなしにしていた。海外のニュースをチェックし、町内の旅行に行くのが楽しみだった。電話で話していても、次から次へとぽんぽん喋り返してきて、九十歳過ぎている人という感覚はまるでなかった。記憶力も抜群だった。世界の動向に関しても、無知な私よりもはるかに詳しく、今後の世界情勢を予測しては、わけがわからずぽかんとしている私を見て、
「ふふふ」
と笑っていた。野球も大好きで、特に清原選手の大ファンで、彼の試合ごとの打率はすべて記憶しているくらいであった。・・・
・・・
葬式での身内は妙に明るかった。
「おばあちゃんは、こうだった」
と思い出話をしては、
「あっはっは」
と笑った。・・・・
「うーむ、亡くなるときは、かくありたい」
私は心からそう思った。
「ぼけないで、ぽっくり逝きたい」
という願いそのままに、人生を終えた。・・・与えられた自分の仕事を済ませ、御飯も食べ、食器まできれいにして亡くなった。
「そこまでちゃんとしなくても」
といいたくなるような最後だった。