イラク水滸伝

イラク水滸伝 (文春e-book)

 高野秀行さんの探検記、まだまだ未知の世界がこんなにあるんだと驚きました。

 

P90

 薄暗い廊下には見たことのない類いの写真がずらりと並んでいた。銃を構えボートに乗って湿地帯を進む男たち。竹藪のようなカサブの茂みの中でなにかを調理する人。湖のように見渡すかぎり水が広がる場所もあれば、カラカラに干上がり地面がひび割れ、密生した葦だけが残されている場所もあったが、多くの写真に共通しているのは若い男たちの鋭い眼光と彼らが誇らしげに構えた銃だった。

―おお、これか!

 心の中で声をあげてしまった。それはまさに〝リアル水滸伝〟の写真だった。本当にいたのだ、こんな人たちが。そして今から我々は「湿地帯の王」と呼ばれる人に会うことになっている……。

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 カリーム・マホウドはイラク国外ではほとんど知られていないが、一九八〇年代末からフセイン政権崩壊までアフワールで反政府ゲリラ活動を行っていたことで国内では有名だという。ついたあだ名が「アミール・アル=アフワール(湿地帯の王)」。

 米軍侵攻後は、占領軍がつくった「暫定統治評議会」のメンバー二十五名の一人に選ばれたが、何か問題を起こした人間がいると「そんなやつはぶっ殺せ!」と公然と言い放つ気の短さでも評判だったという。あまりに荒っぽくて政治には向かず、今はアマーラで静かに暮らしているらしい。ハイダル君のイメージでは「とにかくおっかない人」だそうだ。

 そんな人物が実在するのかと驚いてしまった。これまでニュースや資料でも全く見聞きしたことがない。

 話だけ聞けば、まさに水滸伝の好漢そのままである。・・・

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 廊下に並んだ昔のゲリラ時代の貴重な写真に感嘆してから、執務室に通された。

 待つこと二十分、現れたのはゴールドの縁取りつきの男性用アバーヤ(長衣の上からはおる服)をまとった迫力満点の人物だった。熊のようなごつい体格、射貫くような鋭い目つき、誰が見ても一目で高級とわかる伝統装束。これで三日月刀を持たせたら「アリババと四十人の強盗」に出てくる盗賊の頭目そのままだ。

 だが、話し方は穏やかにして知的。一文ごとに区切って通訳を入れる間をあけてくれるのでとても助かる。こういう気遣いのできる人は実はめったにいない。賢い人だと思った。

 私の方はろくに予備知識がないので、どうしてフセインと戦うことになったのか、なぜそんなことが可能だったのかといきなり直球の質問を投げてみた。

 すると、彼はおもむろに、湿地帯とそこに住む人の話から始めた。

「アフワールはアマーラの東からバスラ、ナーシリーヤまで広がっている。ノアの洪水以来、何も変わっていない。そこは昔から『マアダン』という人たちが住んでいる。元の意味は『水牛などの動物を飼う人』の意味だ。と同時に、ギルガメシュの時代から〝体制と戦う者〟つまりレジスタンスのことも意味する。アフワールには(戦闘用の)馬や象が入れないから、強い権力に抵抗するのに適した場所だったのだ」

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 ギルガメシュは紀元前二六〇〇年頃に活躍したと推測されるシュメールの王。「ギルガメシュ叙事詩」という神話で知られる。アミールは私が推測したように、シュメール時代には湿地帯で反体制活動が始まっていたと言っているのだ。

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 戦うようになったきっかけは何か?

「サダム(フセイン)時代、一九七八年から八六年まで、私は八年間も刑務所に入れられていた。デモや何か活動をしていたわけじゃない。ただ、新しい政党を作りたいと思い、周りの人にそう話していただけだ。それでも捕まって投獄された」

 刑務所には同じように思想犯として捕まった人々がおり、彼らはコミュニストーつまりチェ・ゲバラ毛沢東の本を獄内でひそかに回し読みしていた。八六年、彼が出所して四カ月後に、政府からイラン・イラク戦争への徴兵命令が来た。・・・

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「私はそれを拒否して、刑務所の仲間と一緒にアフワールに入って戦いを始めた。ゲリラのやり方でだ。一度に動くのは八人から二十五人。仲間は多いときで一千三百人ぐらいいた。ビルや施設などの建物には攻撃しないとか、怪我人や捕虜には危害を加えないといった規則を定めた」

 本人の言葉を信じれば、まさに〝義兵〟なのである。

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 仲間になったのは彼のような脱走兵や元囚人だけではなかった。医者やエンジニアといった、フセインに迫害されて逃げてきた知識層の人たちもいたという。

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 それにしても、一九八六年からフセイン政権が倒れる二〇〇三年までずっと湿地帯の中に潜んでいたのか。そう訊くと、彼は笑って手を振った。

「当時は写真がそんなに普及していなかったんだ。私も戦いを始めてからは自分の写真を絶対に撮らせないようにしていた。だからニセの身分証明書をつくって、湿地帯と町を行ったり来たりしてたよ。町に行ったときはムハンマドの家に潜伏していた」

 彼は巨漢のカメラマンを指さした。写真家ムハンマドの父親もかつて政治犯として投獄されていた。二人は刑務所で知り合い、氏族はちがうが親友になった。・・・

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 武器はどうしていたのか?

「自分たちで買って、もともと持っていたものか、政府軍から奪ったもの」で、RPG(いわゆるロケットランチャー)や爆弾も所有していたという。

 マアダンの人たちはよく協力してくれたものだ。

「彼らほど親切で情に篤い人たちはいない。家族以上だ。一九九五年から二〇〇三年の間、サダムはマアダンの人たちにこう対応した。政府に協力したらカネをやる、しなかったら罰を与えるとね。(チェ・ゲバラが戦っていた頃の)ボリビアと同じだ。でも、彼らはずっと助けてくれた」

 それは単に彼らが情に篤かったからだけではない。

「政府は彼らに何もしてやらないのに徴兵するからだ」

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「戦うのには全然問題なかったんだよ」とアミールは笑った。「乾燥すると、地下にトンネルを掘って隠れることができた。ベトコンと同じだ。戦車が入ってきたが、爆弾をしかけて破壊してやった。車も使えるようになって、かえって戦いやすくなったぐらいだ」

 さらに地面が干上がって竹藪のような太い葦の森が至る所にびっしり生えているので、隠れる場所には困らなかったのだ。

 九二年にはフセインの娘婿で石油大臣でもあったフセイン・カーメル将軍が直接部隊を率いて大攻勢をかけてきたが、アミール曰く「全滅させてやった」。

 戦いに勝つと捕虜が大量に出る。「最初のうちは食べ物を与えていたが、とても養いきれないので網を与えて魚を獲らせたり、パンを焼かせたりした。それでも養えなくて、たいてい二、三カ月後には外に返した」

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―面白い……。

 アミールの話は簡潔で、思ったより現実的だった。私はもっと大法螺を吹くんじゃないかと予想していたのだが。なぜ彼のことが世界的に知られていないのか不思議だ。湿地帯という特殊な環境を利用し、あの強固な独裁政権に十七年も抗い続け、「湿地帯の王」とまで呼ばれているのだ。

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 記念写真を撮影して私たちはアミールのオフィスを辞した。