佐野洋子の「なに食ってんだ」

佐野洋子の「なに食ってんだ」

 絵本、童話、エッセイなど全作品から、食べ物にまつわる話を切り取った一冊。

 まるごと佐野洋子さんという感じで、すごい感性だなぁと思いました。

 

P99 【スイカ】 ・『あれも嫌い これも好き』「トントントン」

 その畑は花畑だったり、キャベツだったりいろんなものの畑になります。スイカがゴロゴロころがっていた年があります。

 ある夜、息子の友達が遊びに来ていました。「あそこの畑に今、スイカがゴロゴロころがっている」と私が言うと、「今が食べごろダナ」とその若い男が言いました。そうか、今が食べごろなのかと思っていると「盗りに行くか」と言うのです。私の胸は急に高鳴りました。私は軍手にハサミ、ポリ袋をあっという間に用意して畑に向かいました。

 メイフラワー号でアメリカに上陸するような気分になりました。満月でした。

 私は自分が畑に入り、自分で盗むのは嫌でした。下手人にはなりたくなかったので、畑につくと「私はここで番をしている」と卑怯者になりました。

 男は、ポリ袋をぶら下げて畑にどんどん下りていきました。私は胸がドキドキして、キョロキョロしました。裏道なのですが、たまに車も通ります。男はしゃがむと一個ずつトントンとスイカを手でたたき耳をスイカに押しつけて音をきいている。一つ終わると次をトントン。お前盗むんだから、どれでもいい早くやれと、私はじだんだをふんでおしっこガマンしているみたいです。その上男は満月に真っ白なTシャツを着て、まるで白い発光体のように目立つのです。

 *

 男はポリ袋に巨大なスイカを入れ畑から上がって来ました。

「これがいちばんでかかった」ときいたとたん私は世にもゆかいな楽しい気分になり、カッカッカと笑い、笑うつもりはないのだが嬉しい気分を抑えつけられないのです。

 カッカッカ、そして全速力で走り出しました。別に走ることはない。知らん顔してスーパーで買って来たみたいな顔してればよいのに、逃げる走るということを止めることは出来ない。若い男も私と一緒に走るのです。

 その一瞬が生涯一度も経験したことのないピッタリと息が合った行為で、ほとんど陶酔というものでした。その時、これは悪事であるから息が合うのであって、善行をなしてもこのようなスリルと達成感と充実感はないのではないか。悪事は何という快楽でしょう。

 しかしポリ袋の中に入ったもののなかで、スイカほど中身がスイカだとわかるものはありません。

 私は下駄をカタカタ鳴らし、男は半ズボンにスニーカー、スニーカーと半ズボンの間のスネ毛一本一本が月の光でフワフワ見えています。

 そのスイカは実に巨大でありました。

 スイカは生暖かかったけど、冷やす時間がなかったのですぐ割りました。桃太郎が二人くらい出てきそうでしたが、私は生涯あんなおいしいスイカは食ったことがないと思います。一つ一つトントンたたいて中身を吟味した男の沈着さに、やっぱり男は偉いとその時心から尊敬しました。

 次の日おそるおそる畑に様子を見にいきました。殺人者が現場に現れるのと同じです。すると、スイカは全部引き抜かれ、ゴロゴロ道ばたにつみ上げてあって、「おもち下さい」とマジックで書いた紙に石がのっけてありました。何だかヘナヘナとなさけなかったです。

 

P118 【チーズ】 ・『ふつうのくま』

くまとねずみは、はちみつとチーズをもって ピクニックにいくことがあります。

かわのそばの ちょうどいいくさが はえているところをさがして、ふたりはこしをおろします。

かぜがふいてきて、くまのむなげは すこしだけみぎとひだりにわかれます。

「なんていいにおいなんだろう。はるのかぜのにおいと チーズのにおいがいっしょになると、チーズは せかいいちのたべものだな。」

ねずみは チーズのつつみをひらきながら、ひげをぴくぴくさせます。

「はちみつだって、れんげのにおいがするかぜと いっしょにたべるものさ。」

くまも はちみつのふたをあけながらいいます。

「ああ いきててよかったって、いまのいまのことさ。」

ねずみは チーズにかぶりつきながらいいます。

くまは はちみつのつぼのなかに てをつっこんで、ぺろぺろとなめはじめます。

でも くまは、はちみつをなめながら、はるのかぜをきもちいいとおもいながら、やっぱりどこかさびしいのです。そして、ドーナツを六こたべると、もっとさびしくなります。それは まだじぶんが、そらをとんだことがないからでした。

ほんとうのゆうきをもつけっしんが つかないからでした。

 

P122 【中国茶】 ・『ふつうがえらい』「贈り物」

 それでも人に何かをもらって嬉しく忘れられないこともある。けちで有名な友達が、中国茶を持って来てくれた。

「百グラム二千五百円だからね。一ぱいだけ飲ませてあげる」

 友達は袋から一回分のお茶を用心深く急須に入れて飲ませてくれた。これは実に玄妙な味わいだった。今でもその香りと甘さと苦みのまざった味がよみがえる。

「もう一ぱい」

「駄目」

 友達はぐるぐると輪ゴムでお茶の袋の口をしめると残りをハンドバッグに入れた。私はその友達の心根が実にうれしい。百グラム全部もらったらあの感激はすぐ消えてしまっただろう。あまりのうまさに私にも一口味わわせてやろうと、ハンドバッグに大事なお茶を入れてはるばる電車にのってやって来てくれたのだ。そのへんの果物屋で、義理の手土産を持ってくるのとありがたみが違う。あのけちめ。

 

P156 【煮干し】 ・『猫ばっか』

 友達が煮干しの頭とはらわたをむしっていた。

 煮干しの頭とはらわたをビニール袋に入れて、袋の口をしばった。

「どうするの」

ときくと、

「うちの猫は、頭とはらわたを残すのよ」

「捨てるんならもらう」

私は、うちの猫の餌ばちの中に、一つかみの、よその猫さまの食べ残しを入れた。

猫は興奮して、とり乱して食べながら、不思議な声さえ出した。

ふうむ、なるほど。

ミーニャ、それでいいんだよ。

たまの煮干しの頭とはらわたで興奮できる幸せを、おまえはもっているんだよ。

それが人生の喜びなんだからね。