養老孟司さんのエッセイを読みました。
この方の本を読むと、その意見に賛成かどうかはさておき、何かしら思い込みが外れる所があるのがありがたいです。
こちらは男性と女性の役割について。
P45
私のような関東の男から見ると、京都の男性は女性っぽい。バカにしているのではありません。文化の進んだところはみんなそうなのです。たとえば福岡。タモリさんがそうです。彼もどちらかといえば女性っぽいです。
女性は都会できれいになるけれど、男は都会においておくと、ろくな者にならない。男は都会のルールで縛るよりは、好きなことをしていたほうが元気がいいのです。都会にいると、いわゆる男風なところが消えてしまう。だから言うじゃないですか。「東男に京女」と。
関東の男は「てめえ、この野郎」じゃないとダメで、ちょっと乱暴。紳士的な男性はお高くとまっていると言われて嫌われます。京都の男性というと、老舗の旦那衆がイノダコーヒーあたりでゆっくりとコーヒーを飲みながら、しゃべっているというイメージがあります。
これは変ではない。男が働くほうが変だ、というのが私の意見です。東南アジアに行くと、完全にそうです。男はみんな道端に座ってタバコを吸ってしゃべっているし、畑を見たら、女性が一所懸命に働いています。
日本も平安時代は妻問婚ですね。それは正しいのです。奥さんが財産や家を持っていて、旦那は時々、そこに行く。それで、旦那が邪魔になったら取り替える。みんなそうしていたのです。
ブータンで私が定宿にしているホテルがあって、そこはおかみさんが切り盛りしています。おかみさんが主人だから当然です。そのホテルが機織り学校を開いていて、日本人の観光客が見学すると、必ずこういう質問が出るそうです。「男性が半分ぐらいいますが、どうして男性が機織りを習うのですか?」と。おかみさんは「当たり前です。だって、男性には財産がないのだから、手に職がなかったら食べていけません」と平然と言います。
日本のように男が一所懸命働くのは変なのです。だから、こんなに融通のきかない固い社会になってしまう。女性ならもう少し柔軟になると思うのですが……。