漫画みたいな話

 

洞窟ばか~すきあらば前人未踏の洞窟探検 (扶桑社新書)

 人との出会いって、ほんとに面白いなーと思いました。

 

P233

 海外に洞窟を探しに行くと、現地の人たちとの出会いも楽しみの一つであり、幸運にもいい人に巡り会うことができれば、その後の洞窟探しもスムーズにいくことが多い。

 ・・・

 地元の人に助けられたという意味で、特に思い出深いのは2008年に行ったベトナムだ。当時は世界最大のソンドン洞窟も世に知られていないころで、「すごい洞窟を見つけてやるぞ!」という野心をメラメラとたぎらせながら、オレは人生初のベトナムの地へと降り立ったのだった。

 当初の予定では、地質図を見て当たりをつけておいたベトナムと中国の国境あたりの地域に行くつもりだった。その一帯は石灰岩質で、数多くの洞窟があることでも知られていた。ただ、途中の駅でインターネットがつながって、日本語で読めるベトナムのニュースサイトを何気なく見ていたら、ベトナム南部のダクノン省で大洞窟が見つかったという記事が目に留まった。発見された村の名前も書かれていたため、直感的に「そっちへ行ってみるか」と行き先を変更することにしたのだ。

 ホーチミンに戻り、ふたたび同行してくれる通訳探しに取りかかった。しかし、なかなか一緒に行ってくれるという人がつかまらない。ようやく見つけたのが21歳の女の子だった。行くのはジャングルの奥地なのでちょっと不安になって、「君、本当に大丈夫?」と念を押したら、「頑張ります」と言う。オレとしてもこれ以上通訳探しに時間を使うのはもったいないと感じたため、その女の子にお願いすることにした。

 そこからの展開がすごく面白かったと言うか、まるで映画か漫画みたいな、できすぎた作り話のような話なのである。

 その夜、通訳をお願いした女の子から電話があった。

「吉田さん、私のほかにもう一人、連れていってもいいですか?」

 オレは「誰だろう?」と思いながらも、別に一人増えたからって困ることは何もなかったので「構わないよ」と返事をした。

 翌日、待ち合わせの場所に来た「もう一人」とは、何のことはない、通訳の女の子の彼氏だった。自分の彼女が得体の知れない日本人のオッサンから声をかけられて洞窟探しに一緒に行くという話を聞き、心配になってついてきたのだ。たしかに、もしオレが彼氏の立場だったら、間違いなく「その日本人はよこしまな目的を持った危険な男かもしれない」「心配だから、オレもついていく!」と言うだろう。

 と言うことで、オレとベトナム人の若いカップルというヘンテコな組み合わせの3人で洞窟探しに出かけることになったのだが、予定外の同行者である彼氏が絶大な力を発揮することになる。

 オレたちが向かったのはベトナム南部、ダクノン省のダックソーという村で、なんと彼氏はその村の出身者だったのだ。当然、土地鑑はあるし、村の人たちはほとんどが顔見知り。おかげで泊まるところを見つけてくれるわ、「ちょっと実家に顔出してくる」と出ていって食べ物を持ち帰ってきてくれるわ、案内役の人をすぐ探してきてくれるわで、至れり尽くせりのパーフェクトなサポートをしてくれた。まさに彼氏様々であった。

 ところが、肝心の洞窟探しのほうは前途多難な雰囲気と言うか、山に入る前から思わぬ事実に直面してしまった。

 村に着いた日、近くに有名な滝があるということで見物にいくことにした。で、行ってみてビックリ。滝のまわりの露出した岩が溶岩だったのだ。

「マジか⁉このあたりの地質は溶岩なの?」

 行き当たりばったり、計画性ゼロとは、まさにこんなことを言うのだろう。基本的に規模が大きく展開が複雑な洞窟は、ほぼ100%石灰岩洞窟だ。だから、当初はちゃんと地質図を見て、石灰岩質の地域に行こうと考えていた。しかし、直感任せで急遽予定を変更して、このダックソー村にやってきた。もちろん事前に地質図は確認していない。そして実際に来てみて、ここが溶岩質の地域であることが判明したのである。

 溶岩質の大地の下にも洞窟はある。ただ、流れた溶岩が固まってできた洞窟なので、シンプルな構造で大した展開もなく、地中の奥深くまでつながっていることも極めて稀なのだ。

「いや~、これはしくじったかな……」

 ・・・

 ジャングルの濃密なブッシュを掻き分けて山を登っていくこと、およそ4時間。地元の人の情報通り、洞窟の入口を発見することはできた。しかし、予定通りと言うべきか、それは溶岩洞窟であった。わかってはいたものの、やはり落胆する。

「とりあえず、下りてみるか~」

 入口は深さ20メートルぐらいの地図が陥没した縦穴(陥没ドリーネ)。・・・

 底からは大きな横穴が続いていた。

「溶岩洞窟だし、どうせ大したことないだろうな」

 そんなことを考えながら、オレは暗闇の中へと進んでいった。ところが、である。期待感ゼロだった当初の予想に反して、その横穴はなかなか行き止まりにぶち当たらない。・・・ついには行き止まりに出合わないまま、引き返しの時間となってしまった。

 ・・・規模的には、メンバーと装備をちゃんと揃えて再訪し、本格的に探検する価値は十分にありそうだった。ただ、やはり溶岩洞窟であることが引っかかっていたのだろう。「よし、やるぞ!」というメラメラとした感じにまではならず、「いつかまた来られればいいな」ぐらいの気持ちしか起こらなかった。

 ・・・

 溶岩洞窟の下見から数年後のこと。火山地帯の洞窟にも興味を持ちはじめたオレは、火山洞窟学会という団体に入会する。その会合か何かの折に、火山洞窟学会の会長に、

「そういえば、数年前にベトナムに行ったとき、火山洞窟を見つけて下見をしたことがあるんですよ~」

 と何気なく話したのだ。それを聞いた瞬間、会長の顔色が一変した。

「それは本当か?ベトナムではこれまで火山洞窟は発見されていないんだよ!というか、火山があるかどうかもわかっていないんだよ‼」

 それからはもう大騒ぎである。

 2012年4月に「ベトナム火山洞窟プロジェクト」が立ち上がり、オレは・・・そのプロジェクトの副代表になってしまったのだ。

 学会として調査隊を派遣することもすぐに決まり、オレはその一員として例の溶岩洞窟にふたたび入ることになった。・・・

 翌’13年年末から’14年年始にかけて詳細な調査と測量を行い、その結果、発見した溶岩洞窟は東南アジア最大級の規模であることがわかり、学会とベトナム政府の名で公式に発表もされた。

 プロジェクトはベトナム環境省や観光省、国立博物館などの人たちも交えての国家的な規模にまで発展している。最終的にはその一帯をジオパークのようにして、環境保護と観光客誘致を両立させようという構想もあるらしい。・・・

 とにかく、とてつもなくデカい話になっているのだ。

 そうしたすべての起点は、2008年にいろんな偶然が重なって未踏の溶岩洞窟を発見できたことである。そして、その発見をもたらしてくれたのは、ダックソー村出身の彼氏のおかげであり、その彼氏を連れてきてくれた通訳の女の子のおかげだとオレは思っている。二人がいたからこそ、その後の大プロジェクトが生まれたのだ。