メモリークエスト

メモリークエスト (幻冬舎文庫)

「あれは何だったんだろう?あの人はどうしているんだろう?私はそんな『記憶』を探したい」ということで、依頼を受けて、昔会った誰かを探しに行くという企画で旅してみたそうです。

 面白くて、ぐいぐい読み進みました。

 一部抜粋する(だけでもすごく長くなってしまい、3回に分けました)と迫力が半減しそうですが、明日がわからない人生って…と驚いたエピソードを、書きとめておきたいと思います。

 高野さん自身が11年前(本が出たのが11年前なので、今から22年前?)に会った男の人を見つけにいくお話です。

 

P186

 彼と会ったのは正確には今から十一年前、私がアフリカを旅行中のことである。

 ・・・

 ウガンダは当時、ブラックアフリカの中では民主化も進み、経済も悪くない状態で、・・・

 宿でもアフリカ近隣各国からの客が大部屋に集まり、賑やかにお喋りしていた。私たちも顔を出し、酔いにまかせて歓談していた。すると、その中にザイール人の若者がいた。「君はフランス語が話せるのか?」と彼は訊いた。

「まあ、多少は」私は答えた。

 すると、彼は「やっと自分のことが話せる!」と、私の服にすがりつかんばかりの勢いで、訴えはじめた。・・・

 彼の話は驚くべきものだった。

 彼の名前はリシャール・ムカバ。ザイール東部の町ゴマ出身で、ゴマ大学の学生であった。ザイールは内戦に突入して久しく、・・・

 ルワンダで虐殺された側の部族・ツチは虐殺の直後、フツの政府を倒して政権を握り、その勢いでザイールに突入、ザイール人軍閥カビラを助けて彼に政権をとらせた。カビラは政権をとると国名をコンゴ民主共和国と改めた。

 ・・・カビラ大統領にとって、フツは恩人ツチの敵であり、・・・フツ難民に危害を加えているという噂が前々からあった。

 私がリシャールと出会った前年、フランスの通信社AFPのクルーがその難民への人権侵害を取材に来た。彼らはゴマの町で、リシャールを雇った。通訳兼ガイド兼ドライバーとしてである。・・・

 彼らは「カタレ」という名前の難民キャンプで多数の死者を目撃した。AFPのカメラマンはそれを写真におさめ、世界に発表、大問題になった。

 ・・・

 AFPの記者とカメラマンはスクープをとったということできっと本国フランスで称えられていたと思うが、リシャールには身の危険が迫った。

 ・・・

「ヤバイ」と思ったときにはすでにコンゴ政府の手が伸び、逮捕・投獄された。だが、幸運なことに看守の男が昔からの友人で、こっそり逃がしてもらった。

 着の身着のままで脱獄したリシャールは、タンクローリーの下働きに身をやつし、コンゴウガンダの国境を越え、なんとかカンパラにたどり着いたのだという。

「ここも危ない。(ケニヤの)ナイロビまで逃げたい」とリシャールは訴えた。

 ・・・

 しかし彼は一文無しである。「ワラにもすがる」というのはこのことかとばかり、リシャールは熱弁をふるった。

「もし二〇ドルほどあれば、トラックの助手になってなんとかウガンダを脱出できる」

 ・・・

 私は協力することにした。

 ・・・

 私はリシャールに確か一〇〇ドルをあげ、別れた(……と記憶していたのだが、あとで日記を読み返すとあげたのはたった二〇ドルだった。私もずいぶんケチである)。ナイロビで常宿のホテルを教えた。

 再会したのはナイロビである。彼は三日後にちゃんとホテルに訪ねてきたのだ。

 ・・・

 ・・・ウガンダ・ケニヤ国境はずっと厳しいらしい。・・・とある長距離バス運転手を見つけ、二〇ドルと引き換えに、国境ではバスのシートの下に隠してもらった。

 今は、ナイロビ市内にある、ザイール(コンゴ)人の家に居候になっているという。

 ナイロビへ脱出成功したはいいが、今後の生活は何もメドが立っていない。・・・

 ・・・

 ・・・私は日本に帰る日になってしまった。だが、リシャールはびっくりするくらい性格のいい男で、「今度困っている人を見たら僕が助けようと思う」と、自分が今、どうしようもなく困っているのに、他人のことを考えている場合か!と突っ込みたくなるような殊勝な言葉を残した。

 ・・・

 帰国後、・・・一年後のこと。メールをチェックしていた私は驚きのあまり、ひとりで「おお!」と声を上げた。

 リシャール・ムカバという名前があるではないか。急いで開くと、・・・

 読んでみて、仰天した。・・・彼は今、南アフリカヨハネスブルクにいるというのだ。ナイロビは赤道直下にあり、南アはアフリカの南端である。つまり、彼はアフリカ大陸の半分を縦断したことになる。でも、パスポートもなくどうやって?

 具体的なことはよくわからないが、彼によれば、「全部陸路を強行突破した。何度もつかまったがまた脱出した」という。

 彼は、コンゴ(ザイール)→ウガンダ→ケニヤ→マラウィ→モザンビーク→南アと六つの国境をノービザ、ノーパスポートで越えてしまった。所持金ほぼゼロ、親戚縁者知人友人ゼロという凄まじい状態でである。・・・

 私はすぐに返事を書いた。「生きてたのか!すごいな!僕もうれしい!」みたいな簡単なものだ。

 ・・・

 彼からのメールはそれっきり途絶えてしまった。

 ・・・

 ・・・今リシャールは何をしているのか。私に連絡をよこさないのはすでに生活が安定し、その必要がないからなのか、それともインターネットに近づけないほど困窮状態にあるのか?

 すべての答えはリシャールの中にある。