違う?同じ?誤差?

赤塚不二夫生誕80年企画 バカ田大学講義録なのだ! (文春e-book)

こちらは養老孟司さんのお話です。

 感覚は違いを感じとっている、言葉は同じにする・・・とても興味深かったです。

 


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 ・・・去年の12月に北海道大学の数学者の津田一郎さんが『心はすべて数学である』という本を書かれました。・・・

 私は前から思っていたんですが、数学って非常に大きな特徴があるんです。それは何かというと、「強制了解」なんですね。どうしてかというと、ピタゴラスの定理が気に入らなくても、一生懸命考えて証明してみると、成り立っちゃうんです。どうしても成り立っちゃうから「強制了解」と言うしかないでしょ。

 世界中誰が考えても、そういう答えになっちゃうということは、数学は理性の徹底的な普遍性を示しているわけです。・・・

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 津田さんはちゃんと言っています。「一人一人は遺伝子が違うし、育ちも違う。だから人って、自分と考え方が違う」と。これって当たり前ですよね。そういうことを津田さんが何と言ってると思います?津田さんは、「それを数学的に言うと、要するに『誤差』だ」って言うんです(笑)。要するに、他人と自分の意見が違うのは、「誤差」であると。文句があったら、私じゃなく、津田さんに言ってくださいね。

 でも、この手の考え方って、古くからあります。・・・

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 ・・・プラトンは何て言ったか。プラトンは「イデア」ということを言いました。プラトンの「イデア」が何であるかを証明するときには「リンゴのイデア」がいいんです。リンゴって具体的に見たら、性質が無限にあるんですよ。だって、赤かったり、黄色かったり、青かったり、大きかったり、小さかったり、すっぱかったり、甘かったりいろいろでしょ、具体的なリンゴというものは。だけど、みなさんはそれを見て「リンゴだ!」とすぐわかるわけで。そこでプラトンは「世に完全無欠のリンゴというものがあって、それは具体的に存在するすべてのリンゴのすべての性質を備えている。実在しているものは、そういうものだ」と考えたんです。

 じゃあ具体的にみなさんが買ったり食べたりしているリンゴというものは何かというと、それは「リンゴのイデアが不完全に実現されたものだ」と。不完全でしょ。だって性質が限定されているわけですから。本当に存在しているのは、完全無欠のリンゴのほうだと。別の言い方をすると、「概念のほうが実在する」と言ったんですね。でも、普通の人はそれを認めないです。「リンゴは言葉だろ?」と。「不条理だ」と。だからアリストテレスはこう言いましたよ。「実在するのは個物だ」と。

 プラトンには有名な「洞窟の比喩」というのがあって、「みなさんは洞窟の入り口につながれている囚人で、ただし、洞窟の壁しか見えない」と言いました。だから、みなさんの見ている実在というのは、実は自分の影だと。実体、つまりイデアはこっち側にあるんだけど、それは見えないんだよ、と。そういう抽象的なことを「実在だ」と考える人をなんと呼ぶかというと、私はかつてから、それを「〝数学者〟と呼ぶ」と定義しています。

 なぜなら私は東大にいた頃、数学の先生と酒を飲んだときに、面と向かって「先生、数学の世界は実在ですか?」と聞いたことがあるんです。たちどころに返事がきました。「実在ですよ!」と。この中で、数学の世界が実在だと思っている人います?(手があがらない)ここに数学者は一人もいませんな。

 数学の世界が実在だって言われても、みなさん方は信じないでしょうけど、それは本当の数学者を見たことがないからです。津田さんは数学者なんですよ。津田さんにとって実在するのは普遍的な心であって、みなさんの心は、それが不完全に実現されたものです。要するに、「誤差」なんですよ、数学的に言えば。確かに違いますよ。遺伝子も違うし、育ちも違うんだから。でもそんなものは誤差に過ぎないと。僕はそれがわかって気持ちよかったです。誤差だよな、確かに(笑)。

 ・・・「実在」っていうのは、みなさんの脳が勝手につける性質です。どこにつけるのか?毎日金勘定している人には、金が実在です。だけどあんなもの、本当はどこにもありませんよ。昔は貝殻だったし、私は戦後の新円切り替えを知っていますから。・・・

 お金なんて、私にとっては極めて抽象的なものなんです。お金が現実だと思っている人、かなりいるでしょ。その「もの」が実在だと思っているかどうかを検定する、簡単な方法があります。それは、その人がそれにかかわっているときに、その人の行動が変わるかどうかでわかるんです。「お金が落ちてたら拾う」という人にとって、お金は実在です。僕は、虫が這っていたら拾います(笑)。普通の人は虫を拾いません。だから普通の人にとって、虫は実在ではないんです。知識としては知っているけど、私にはかかわりがないと思っている。実在をそのように定義すると、その人が見えてきます。

 数学者は非常に特異な実在を持っていまして、存在しているのは普遍的な心であって、我々の心はそれを不完全に、部分的に、代表して存在しているんですよね。「俺はそんなもの納得いかない」って、当たり前ですよ。実在はみなさん勝手につけているんですから。・・・

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 脳みそには昔からいろんな見方があるんですね。一つが「全体論」と言いまして、脳全体が何かをしている。もう一つは「局在論」と言いまして、脳の部位ごとにそれぞれが担っている機能があるという。・・・

 局在していることは確かだし、みなさん常識だと思っているかもしれませんが、たとえば高校生くらいの若い人が、仮に左側の脳に卒中を起こすとします。しばらくは右半身が不随になりますが、数年経ちますと、完全に元に戻って普通になります。つまり、脳が勝手にリハビリして治っちゃうんです、若いから。

 それで思い出したんですけど、・・・小川鼎三先生という脳の大先生がおりました。私の先生の先生です。・・・小川先生が机の傍らに置いてあった脳の標本について「キミ、これどう思う?」と聞かれたんです。見ると、小脳がないので「小脳がありませんね」と答えると、「そうなんだよ、この人、生きてるとき何してたと思う?日本舞踊のお師匠さんだよ」と。

 日本舞踊を踊るのに小脳はいりません。・・・小脳がなくても、意識に関係はありません。・・・じゃあ、みなさんの小脳は何のためにあるのか?私に聞かれても知りません。

 脳ってそういうところがあるんです。全体として上手に動けばいいんです。・・・

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 ・・・動物と人とどう違うかということが、ある程度はわかってきた気がします。それは何かというと、極めて簡単で、入力の感覚というのが何をするかを考えてみますと、世界の〝違い〟を見ているんですよ。

 ・・・感覚が何をしているかというと、世界の〝違い〟がわかることです。当たり前だよ、今、明かりをちょっと暗くしたら誰でも気がつきますよ。

 においがするでしょ。においって、いいにおいだとか、悪いにおいだとか、焦げ臭いとかいろいろ言うんですけど、要するににおいがしてくるってことは、それまでそのにおいがしてなかったってことなんですよ。状況が違ったんです。・・・

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 感覚の根本は、世界の〝違い〟がわかることなんです。人の意識が何をしたか。その〝違い〟を〝同じ〟にするということを始めたんです。これは、動物はしないことです。たぶん動物は〝同じ〟にできないんです。

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 動物を調べますと、調べた限り、全部「絶対音感」を持っていました。人間の子供もそうに違いないです、動物ですから。同じ周波数の音が聞こえたら、同じ耳の部分が動くんだから「あそこが動いたな」くらいはわかりそうじゃないですか。だから私は、自分がわからないことが不思議でした。何で俺にはわからないのかと。

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 絶対音感を消してしまった原因が、「言葉」です。母親の言う「太郎」と父親の言う「太郎」は、違う言葉だと思ったけど、どうやら俺のことだと。両方とも俺のことなんだな、とわからないといけないですから。みなさん方、一体何を聞いているかと自分でちゃんと考えたことあります?

 その能力が発展して、何が起こったかというと、人間だけが音痴になります。音痴は私の定義によると、音の高さが違っていても、同じ歌だと信じて歌える能力です。・・・

 「〝同じ〟にする」というのは、人間だけが持っている特殊能力です。これは驚くべき能力で、さっき言いましたように、どんなリンゴもリンゴなんです。「〝同じ〟にする」。これを「概念」と言います。動物は、〝同じ〟にしません。だから、「感覚」である。・・・