終止符のない人生

終止符のない人生 (幻冬舎単行本)

 ロードムービーを観ているような読み心地で、この先どうなるんだろう?とページをめくり続けてしまいました。

 

P64

 モスクワに留学して1年半が過ぎた2015年5月、イタリアのチッタ・ディ・カントゥ国際ピアノ協奏曲コンクールに出てみることにした。それほど大きい規模のコンクールではないものの、ピアノコンチェルトが弾けるため、若手音楽家にとってはまたとない腕試しの機会だ。締切直前のギリギリでもエントリー可能だったから、試しに出場してみることにした。「サイゼリヤのミラノ風ドリアはうまい。本場のミラノ風ドリアを食べに行こう」という密かな動機もあった。

 深夜便でミラノの空港に着いたものの、両替所が開いていない。僕はそのときロシアのルーブルしかもっていなかった。クレジットカードもないから「終わった。どこにも移動できないじゃないか」と絶望した。とりあえずタクシー乗り場に並んで「日本人はいないかな」とキョロキョロしていると、日本の赤いパスポートをもっている人が一人だけいる。ダメ元で「すみません。お金ないんで、ミラノ市街まで連れてってもらえませんか」と頼んだ。すると「いいよいいよ。僕もミラノ市街に行くから」と言って、一緒にタクシーに乗せてくれた。

 手持ちの現金はないが、とりあえずミラノで1泊しなければならない。ミラノのホテルは予約しておらず、すべてが出たとこ勝負だった。Booking.comで空室を探し、フロントのボーイに「今晩ここに泊めさせてください。お金は明日銀行で下ろして払いますから」と頼みこんだ。

 次の日は、スイスの国境近くにあるカントゥという街までミラノから北上しなければならない。ホテルのボーイが親切に「この電車に乗れば大丈夫だから」と教えてくれた。ところがその電車に乗ると、北に行かなければいけないのに、どう見ても南に向かっている。「おかしいな」と気づいたときに、iPhoneの充電が切れてしまった。しかも充電器はモスクワに忘れてきてしまった。

 仕方がないのでミラノに逆戻りし、家電量販店の中にアップルストアが入っているのを見つけ、やっと充電器を買えた。今度はカントゥ行きの電車に無事乗れたものの、電車の中には充電器を挿せるコンセントがない。iPhoneを充電できず、何も情報を検索できないまま、やっとカントゥ駅に着いた。そこは田舎の小さな駅であり、コンクールを受けるための会場は遠く離れている。

 田舎のイタリア人はとても優しい。目的地がわからないので道を尋ねたら、本屋に連れていかれた。「エントリー会場はここなのか。ここでエントリーできるのかな」と思っていたら、「これを買え」とイタリア語で言われてカントゥ市の地図を買った。その地図に印を書かれて「この道をこう行け」と言う。

 僕は重度の方向音痴だ。重量23キロのキャリーバッグを転がし、気を紛らわすべく「スタンド・バイ・ミー」を歌いながらトボトボ目的地へ向かって歩き続けた。エントリーの締切は2時なのに、受付に到着したのは午後6時だった。

「ごめんなさい。道に迷って遅れてしまいました」と謝ると「電話をかけても出ないから、あなたはもう来ないと思ってた。でもこうして来てくれたからいいよ」と言って、コンクールにエントリーさせてくれた。こんな珍道中も結果的に無駄足にならなかったのだ。

 学生は普通、ホームステイで寝泊まりしながら旅費を安く済ませるらしい。無計画な僕は、部屋が空いているホテルに適当に泊まることにした。そこはロビーも部屋の中も床に大理石が敷いてあり、メゾネット(2階建て)で部屋がだだっ広い。

「一人でこんな大きいところに泊まれるのか。国際コンクールの支援はすごいんだな」と驚いた。部屋にはプリングルスやお酒も置いてあるし、ルームサービスの食事も悪くない。

 ミラノの銀行で、日本円を10万円下ろしておいた。そのお金で2週間過ごすつもりだったのだが、妙な山っ気が生じて人生で初めてカジノに繰り出した。・・・一人でスロット台に座って、とりあえず100ユーロ(1万円)の種銭を準備した。

 すると台に座って3分くらいで大当たりを引き当て、コインが溢れて止まらない。ウワーッ!とコインが出てきて、一気に1000ユーロ(10万円)まで増えた。・・・「カジノってすげえな」と驚きながらどんどんコインをゲットしていたら、後ろからトントンと肩を叩く者がいる。「ここはオレの台だ。どけ」

 今にして思えば、そんなものは言いがかりにすぎない。一人でプレイしている東洋人なんて、ちょっと脅しつけてやれば台を移ると甘く見られたのだろう。

「そうなんだ。あんたの台だとは知らなかった。ごめんごめん」

 そう言って、コインを取れるだけ取ってから台を譲ってあげた。

 カジノにハマらず、すぐに博打から抜け出せたのは幸いだった。

 コンクールの一次予選に参加して、レベルの高さにおそれおののいた。2015年がコンクールの〝当たり年〟だということを、僕はまったく認知していなかった。・・・2015年は、世界3大コンクールがすべて開催される〝当たり年〟だった。当然、ほかのコンクールもレベルが高くなる。

「スロットをやったり呑気にイタリアンなんて食べてる場合じゃないな」

 広いホテルの部屋に戻って我に返り、危機感に駆られた僕は、そこから猛烈に練習して2次予選以降のコンクールに臨んだ。そして優勝し、日本円で賞金60万円をゲットしたのだ。

 優勝を勝ち取り、ホテルから意気揚々とチェックアウトしようとした。すると「支払いは6000ユーロです」と言う。6万円かと思いきや、総額60万円だ。ホテル代は1泊3~4万円もかかり、タダだと思って毎日使っていたルームサービスは全部有料だった。優勝賞金60万円は右から左へとかし、賞状以外何も手元に残らなかった。これが人生初めての国際コンクールのドタバタ顛末記である。