盲導犬と地球を歩く

盲導犬と地球を歩く 郡司ななえと私たちのわんだふるじゃーにー

 盲導犬ってそこまでかしこいんだ、とか、みなさんのチームワークすごいなぁ、とか、色々思いつつ旅行記を楽しみました。

 

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 登場人物の紹介をしておこう。

 郡司ななえ。1945年7月生まれ。27歳で難病ベーチェット病のため失明した。新潟から上京し、建築技術担当としてキャリアウーマンの道を歩み始めた矢先、光を失うという絶望の淵に立たされたのは、1972年のことだ。失意のどん底から引きこもりとなり、立ち直るのには1年6か月を要し、再起を図った出発の日は29歳のお誕生日だったそうだ。その後、同じ視覚障がい者である方と結婚。出産を機に盲導犬と共に生活する道を選び、今日に至る。

 最初の盲導犬ベルナとの出会いと別れを綴った作家デビュー作『ベルナのしっぽ』は、テレビドラマや映画になり、視覚障がい者盲導犬の生活が広く世に知られるきっかけとなったし、その後も数々の著作を世に送りだしている。視覚障がい者の権利獲得や安全対策のために奔走し、何度も国会に足を運んできた。ドラマチックな人生を歩んできたすごい人であることは間違いない。

 が、素顔のななえさんはイケメン好きの普通のおばさんだ。最愛のお連れ合いを亡くして30余年。息子さんは独立し、今は5代目の盲導犬フローラとの都会暮らしを謳歌しておられる。信じられない事実が一つあって、それは盲導犬以外の犬が大の苦手ということ。特に可愛らしい小型犬には触るのもダメ。お散歩しているペット犬たちに近づかないように最大の注意を払いつつ、公共交通機関を乗りこなし、毎日ガンガン歩いている。とってもアクティブなのだ。

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 私「うっちゃん」は39年間の音楽教員生活を終えて退職した。・・・

 勤務していた中学校で、創立50周年記念に合唱曲を作ろうということになり、その作詞を依頼するために、同窓生郡司ななえ様と東京・紀尾井町ホテルニューオータニにてお目にかかったのは2007年のこと。そこで意気投合しちゃったのが、すべての始まり、運のつきであった。・・・

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 ななえさんの人生のキーワードは「風」と彼女から聞いたのはいつのことだったか。

「目が見えていた時も、見えなくなってからも、常に風を感じて生きてきたのよ、私」

 と、ななえさんは言う。思えばかんべさんも私も、盲導犬と旅することに大それた夢や目的があったわけではない。風に導かれるように、風に吹かれるままに、一緒に旅を続けてきただけだ。そして気づけば10年の歳月が流れ、訪れた国は9か国となった。

 

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「うっちゃんさあ、・・・今年はどこに行く?」

 年が明け、毎日の雪下ろしに追われていた私に、ななえさんから電話がきた。

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 うーん、どうしよう。

 ななえさんと私、二人というのはかなり厳しい。人間様のトイレと入国審査が課題なのだ。アテンドする人がトイレに行っている間にななえさんとウランにどこにいてもらうか、入国審査でひっかかったら対応できるか、二人でもできなくはないが緊急時を想定すると不安はある。・・・行けるとしても直行便があり、できるだけ現地に友だちが住んでいて…。

「ニューヨークなら高校時代の友だち、トモちゃんが住んでいるけど…」

「あら、いいわねえ。ニューヨーク。本場のミュージカルを観てみたいわぁ」

 じゃあ決まり!もたもたしていない。即断即決が身上のななえさんだ。こうしてその夏は二人とウランだけでのニューヨーク行きが決まった。

 旅の準備はいつもどおりに進んだ。行程を決め、航空券をゲットし、次は獣医さん探しである。

 そもそも私とニューヨーク在住のトモちゃんとは不思議なつながりがある。高校時代はクラスも違い、それほど親しい関係ではなかったが、私は彼女のアートセンスにずっと憧れをもっていた。偶然にも教員になってからの大親友、クミコさんとトモちゃんが大学の同級生で仲良しと知って、友だちの友だちはみな友だちとなったのだ。トモちゃんは某有名ブランドの役員として世界中を飛び回っている。やはりただ者ではなかった。

 そのトモちゃんのセントラルパークのランニング仲間であるヒガさんが愛犬家で、獣医さんを紹介してくださることになった。ヒガさんとうっちゃんもアンビリバボーなつながりがある。

 写真家であるヒガさんは『日本の中学生の美術の授業を見学したい』と、ニューヨーク行きの前年にトモちゃんを介して、私とクミコさんが勤務する上越市立城西中学校に授業見学に来られたのだ。「ニューヨーク在住で、それもヒガさんだなんて、私がサンパウロでお世話になったスミコさんの弟さんだったりする?な訳ないよね。まさかねぇ…」

 でも、そのまさかがホントになるのだから人生って不思議に満ちている。サンパウロで何度もスミコさんのお宅に伺って、言葉にできないほどお世話になったのだ。その時に弟さんがニューヨーク在住とお聞きしていた。その弟さんと私が、日本の、それも新潟の小さな田舎町で出会うことになるなんて。鳥肌がたった。ヒガさんもびっくり仰天の出来事だった。サンパウロのスミコさんからは、訪問当日電話がかかってきて、南北アメルカ大陸に分かれて生活している二人が日本のうっちゃん経由で久しぶりの会話を交わしたのだった。そのヒガさんのご紹介で、こんどはニューヨークの獣医さんにお世話になる。こんなことってある?地球は広くて狭い。

 ・・・

 トリニティ教会で静かな時を過ごし、さて、と歩き始めた。ななえさんとウランは、教会でエネルギーを充填したのか、どんどん先を歩いて行く。ちょっと待ってよ、そこは…。

 ななえさんが佇んだのは、ニューヨーク貿易センタービル跡地、グラウンドゼロの入口であった。まるで吸い寄せられるようにななえさんはその前に立ち、じっとして動かない。ようやく口を開いた。

「風の音を聴いていたのよ」

「どうしてここがグラウンドゼロって分かったの?」

「え?ここがグラウンドゼロなの?テロのあった?私、何かを感じたのよ。だから風の音を聴いていたの。そしたら動けなくなった」

 美輪明宏さんが「見えるものを見ず、見えないものを見よ」と言っていた。それが美輪さんの人生訓なのだと。「見えるものを見ず、見えないものを見る」とは、ななえさんの生き方そのものだ。たくさんの人の祈りの声を風の中に聴いたのか、ななえさんは少し疲れた様子だった。無理せず、家に戻り、ゆっくりバスタブに入ってもらおう。・・・

 

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 ななえさんに、

「どうして盲導犬と海外旅行に行こうだなんて思ったの?」

 と改めて聞いてみた。

「66歳の時だったかなぁ。私これまで自分のお金を自分のために使ってこなかったことに気づいたの。それで何だかあほらしくなって、自分のためにお金を使おうと思い立ったのが理由の一つ。そして、目が見えていた時に弟にいつもこう言っていたことを思い出した。お金を盛大にためて必ず世界一周するってね。その頃は病気が進行し始めて、体中の調子が悪くなっていたのだけれど。やけっぱちってわけじゃなくて。見えなくなる前に世界を見ておきたいとでも思ったのかな」

 ・・・

 ななえさんは逆に私に聞いてきた。

「なんで目の見えない私と一緒に海外旅行に行ってくれるの?だって検疫のために、行きたいところややりたいことに費やす時間は少なくなるし、なんと言っても渡航準備だって大変。かんべさんだって初めは犬が嫌いだったのだし…」

 その答えはかんべさんもたぶん同じだろうと思ったが、いちおう彼女にそれとなく聞いてみた。やっぱりかんべさんと私の答えは同じだった。

「楽しいから、だよね?」