こんなふうに、暮らしと人を書いてきた

こんなふうに、暮らしと人を書いてきた

 大平一枝さんのエッセイ、好きです。

 こんな風に生み出されるのだなと、興味深く読みました。

 

P28

 パリ、アイルランド、松本、沖縄の番外編を入れると、台所取材は三百軒を超える。

 そのうち、できれば忘れたい苦い取材は二回。百五十人にひとりなら、よしとしなければならない確率だと思っている。始める前は、もっと高い確率で出会うのだろうと思っていた。

 反省すべきところがあったので、自戒も込めて、二本のうちの一例を。

 四十代女性のひとり暮らしを訪ねた。

 取材を終え、入稿する前に原稿の事実正誤を一度取材相手にチェックしてもらうため、メールで送信した。

 その晩、長いメールが返ってきた。

 もっとも心をえぐられたひと言は。

<大平さんに私は、こんなかわいそうな人に映っていたんですね>

 彼女いわく、女のひとり暮らしで寂しくて、何も打ち込むもののないつまらない人に見える。これでは自分がかわいそうすぎる。せっかく掲載を楽しみにして友達にも宣伝しようと思っていたが、誰にも見せられない。

 冷水を浴びた思いで、メールの文字を見つめた。胸に鉛が詰まったように苦しい。つゆほども想像していないレスポンスだった。違う視点で彼女の暮らしぶりの素敵さを書いたつもりだったが、読み方は人に強制できない。明らかに私の筆の未熟だ。

 締め切りまで時間がない。そこまで否定されたら、載せないのがベストだが、差し替え用のストックもない。なんとか一晩ですべて書き直し、何度かやりとりをしたあと、<やはり言ってよかった。これで友達に自慢できます>と感想が来た。

 もやもやが黒いシミのように残り、しばらくはメールソフトを開けるのが怖かった。・・・

 それから何日か、いや何週間かおいて冷静に考えると、反省点が見えてきた。

 ・・・

 もうひとつ、校正という作業の本質について、大きな学びがあった。

 作品の主題は、書き手のものだ。最後まで、責任を持たねばならない。もやもやの原因は、「友達にも見せられない」という一言に引っかかっていたのだと、あとからわかった。事実正誤の直すべきは直し、その上で、〝人にどう見られたいか〟という取材対象者の意図に沿っては書き換えられませんと言うべきだった。

 何を直し、何を直さないか。以来、初めて指針ができた。それは言い換えれば、自分の据えた主題を重んじるという矜持である。

『東京の台所』の相手は、取材慣れしたタレントさんや女優さんではない。こんなふうに書かれたら嫌だ、こう書いてほしい、人にこう見られたいという要望を抱く気持ちも自然なものだと思う。

 それからは、校正依頼時に、「事実正誤とプライバシー保護の二点について、確認願います。主題は書き手にお任せください」とお願いするようになった。・・・

 ・・・

 あるとき、インタビューでは言っていなかったことを付け加えてほしいという追加の要望がきた。

 心疾患で苦しんでいたとき、家事や育児を夫が全部引き受けてくれた。ひとこと、夫への感謝を書き添えてほしいというのだ。

 気持ちはよく理解できる。が、主題から外れ、読者にも関係がない。

 私は、「ご要望に応えると、それは私の作品ではなくなってしまうので、残念ですができません」という意味のことをできる限り丁寧に書いた。

 すると、私以上に丁寧なメールが来た。

「そうきちんと反論してくる方だから、私は応募したのだったと思い出しました。あの文章は、ご自分の主題を守る強い姿勢から生まれていたのですね。了解しました。大変失礼しました」

 取材協力を惜しまずしてくださった方に対して心苦しさを抱きつつ、深い理解にこちらの頭が下がった。

 私は幼いころから人に嫌われるのが怖くて、心にも思っていないことを言ってしまったり、言いたいことを伝えなかったりすることがよくある。「ノー」を言うのが、いまだに苦手だ。

 しかし、その女性のお陰で、取材においては小さな自信を持てたのである。とりつくろわず自分に嘘をつかず、真正面から言ったら、伝わる人にはまっすぐ伝わるものなのだと。

 

P193

 ある日を境に、著書などの取材を受ける際、ライターさんが申し訳なさそうに自分のスマホを前に押し出し、こう言うようになった。

「すみませんが、録音をしない大平さんと違って不安なもので、録音させてください」

 はて、と最初は戸惑った。けして謝ることではない。それになぜ、この方は私が取材で録音機を使わないのを知っているんだろう。

 聞くと、自著『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』で、しっかり書いていた。三週間前に夫を亡くされた人の話の途中にひと言。

<私はふだんから録音用ICレコーダーを持参しないが、この日だけは激しく悔いた。涙でメモがとれない。>

「泣いた」ということを、別の表現にしたくて記したもので、自分のなかでは「涙でメモがとれない」の伏線的役割だったため、書いた意識があまりなかった。読者はぴんとこないだろうが、同業者はこういうところに敏く興味を持つのだなあと感心した。

 ついでに、なぜ録音をしないかと必ずといっていいほど聞かれる。・・・

 ・・・

 初期の頃はICレコーダーを持ち歩いていた。ところが、締め切りまでに文字起こしの時間がない。書き起こしても、どうもしっくりくる文章にならない。・・・

 ・・・

 ノートの見開きが、文章構成のキャンバスになる。人生を振り返るお相手は、ときに話が行ったり戻ったりする。「ここの部分はもう少し聞きたいぞ」「事実関係を確認したいな」と思っても遮らずいったん、先方がひと息つくまで聞く。そのかわり深堀りしたい部分のメモは、円で囲ったり、下線を引いたりしておく。相手が、ひと息ついた時にメモの印を見ながら、質問をさかのぼる。

「ところで先ほどの~~のお話ですが、そのときお連れ合いはなんと言ったのですか」

「〝このときがっかりした〟とおっしゃいましたが、どうしてですか」

 前のページを開きながら尋ねると、相手の取材態度があきらかに少し変わる。〝この人は私の話をひと言も聞き漏らさず、真剣に聞いてくれている。ちゃんと話をしよう〟という気持ちになってくれるようなのだ。

 これは著名人も同様である。何気なく話した言葉を、あとからこちらがすくい取ると、ハッとした表情になる。録音をしないので、何がキーワードか、主題は何か、精神性のルーツはどこか、限られた時間の中でアンテナを張り巡らせている。そこに引っかかった言葉は相手にとっても、自分を語る大事な鍵であることが多い。

 ・・・

 すべてをもれなく録音し、ひと通り聞いてふるいにかける作業をしていたら、私はおそらくここまでこの仕事を続けていられなかった。こんな感覚は私だけかもしれないが、録音すると、すべての情報がつるっと平べったく見えてしまう。起承転結の起伏がなくなる。

 年号や金額などの数字、医学などの専門用語が登場する取材には録音が必須だが、暮らしや心の機微を作品に昇華するとき、私にはノートとペンがあれば十分なのである。