ココ・シャネルという生き方

ココ・シャネルという生き方 (新人物文庫)

 人となりについて全然知らなかったので、興味深く読みました。

 

P92

 ある時シャネルとミシアがいるところに、ロシアバレエのプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが訪れた。彼はミシアの友人で、資金難に苦しんでいた。シャネルの存在には気づかないようだった。しばらくしてのち、シャネルはディアギレフのホテルを訪れた。そして彼の希望をはるかに上回る額の小切手を手渡した。条件は、「誰にも言わないこと、とくにミシアには絶対言わないこと」だった。

 

お金を持っていれば、自分が愛している人々を、何か言うべきものを持っている人々を助けることができる。立派な作品を上演させることができる。あたしはずいぶんロシアバレエを助けた。そしてあたしが要求したことといえば、ひとつだけ。誰にも知らせないでもらいたいということ。

 

 次の会話からはその様子がよくわかる。

ディアギレフ:「公爵夫人の家に行って七万五千フラン借りてきたよ」

シャネル:「あたしはアメリカの大貴婦人とは違いますからね。フランスの一介のデザイナーにすぎないの。で、ここに二十万フランあるわ」

 

物をあれこれ買うなんて、考えもしなかった。愛情以外には何も欲しいとは思わなかった。自分の自由を買わなくてはならなかったから。それにはいくら出してもいいと思っていた。

 

 意地の悪い人も、そうでない人も、シャネルは投資に対して天才的な勘があったと言う。有名になる以前の天才を発見して、彼らに投資するのだ。それはほとんど外れたことがなかった。シャネル自身も才能を見抜く力があると自負していた。そして、天才が大好きだった。

 

 あたしは、あたしなりの批評精神は持っているつもりだ。すばらしいと思いつつも、どこかで息苦しく感じるようなときは、彼らが本物ではないときだ。

 いつでもそうなのだが、あたしは強い個性の人間とは気が合う。心から尊敬するし、同時に、どんな大芸術家にも自由に接することができる。

 

 メセナを行うことはシャネルが社会的に認められるための、つまり自由に振る舞う権限を手に入れるための手段でもあった。

 

 あたしはこれから起こることのそばにいる人間でいたい。

 

 天才たちを抱え込んだディアギレフを援助することで、それも果たせた。コクトーピカソニジンスキーストラヴィンスキーら、時代の先端を疾走する天才たちとともにシャネルの名前があった。メセナを行った実業家として。そして、すばらしい舞台衣装を手がけたデザイナーとして。

 シャネルから経済的な援助を受けた芸術家の名を挙げればきりがない。ディアギレフに対してそうであったように、シャネルは彼らから決して「見返り」を要求しなかった。それどころかお金を出したことを内緒にしておくように約束させた。

 

 受け取るよりは、与える方が、はるかに嬉しい。

 あたしが浪費することのなかで一番好きなのは、あたしの力。

 

 そして、貯蓄に励む人を軽蔑した。

 

 節約しているのに貧乏になる人もいれば、お金を使いながら裕福になる人もいる。

 あたしは人を判断するのに、お金の使い方で見分けることにしている。

 

 シャネルはお金を使うことによって存在感を増してゆき、それが結果的に仕事の発展につながった。そしてどんなにお金があっても絵画など美術品のコレクターにならなかった。

 

 物を買ったあとで所有し、執着するのは醜い。

 

 こうしてシャネルは芸術大国フランスの、芸術活動が活発だった時代のパリにおいて、メセナを行う実業家として、そして美の支配者として君臨した。

 ミシアとともに、階級社会外にいる芸術家たちを招いて夜な夜なパーティーを開き、独自の社会的地位を確立していった。やがて、驚くべきことが起こった。上流階級の人々がシャネルのサロンへ招かれたがったのだ。招かれるためには招かねばならない。上流階級の人々がシャネルを自分のサロンへ招待するようになった。

 これは歴史的事件だった。

 どんなに有名でもどんなに才能があってもどんなにお金持ちでも、ファッションデザイナーは商人に過ぎず、上流社会の垣根は高かった。シャネルはデザイナーの社会的地位も上げたのだ。

 ・・・

 上流階級の人々に対してシャネルは手厳しかったが、批判の矛先は彼らのお金に対する意識に向けられた。品性は階級ではなく、その人自身に宿る。そしてお金の使い方にこそ人間の品性が、残酷なまでにあらわれる。シャネルのお金の使い方は大胆だった。また、お金を援助したことを知られたがらなかった。結果的にそれが彼女の格を上げた。

 シャネルのお金の使い方。いくつかの特徴があるが、そのひとつは今の生活にすぐ活かせそうだ。シャネルはたくさんのお金を使ったが、「モノを所有する」ことには使わなかった。