生きやすさ

いま、台湾で隠居しています: ゆるゆるマイノリティライフ

 こういう生きやすさがあると安心だな、こういう中で生きたいなと思いました。

 

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 生きやすさにもいろいろあるけれど、台湾の場合、まず生きていくうえでの指標がたくさんあるのではないかなあ、と思う。

 たとえば「お金」はひとつの指標として、とてもわかりやすいものですよね。

 もしもあなたがお店のオーナーで、経営がうまくいって繁盛したら、さらに利益を追求するため、営業時間や店舗を増やそうと考えるかもしれません。そういうお店ももちろんありますが、台湾には、そうじゃないお店もたくさんあるんです。

 超行列のお店や屋台でも、本店営業のみ。その日の分を売り切ったら、閉店時間前でも早々に店じまい、みたいなところはザラ。・・・

「お金」だけが基準であるなら、こういう風景はありえないと思う。

 一日の仕事を終えたら、あとは家族や自分、友人との時間を大切にする。台湾人にとっては、そういうのもまたひとつの大切な形なんですよね。

「お金」だけが人生の基準じゃないとき、他にいくらでも生きていきようがある。すると、社会に隙間というか余白というか、余裕が生まれます。

 電車内で年寄りや妊婦さんや、杖をついた人がいれば誰かが必ず席をゆずるし、道で人が転んだり事故ったりしたら、周りの人がわらわらと手を貸しに集まってくる。

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 ・・・台湾はそういう豊かさを目指している社会なんだな、というのが、街の風景から感じられます。

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 あと、物質的なことでいうと、インフラが整っていて生きやすい。

 飲料水、公共Wi-Fi、そして公共の場に必ずある、スマホの充電スポット。・・・

 それから街なかに座れる場所がすごく多いですね。多すぎて、座る尻が足りん。

 これはほんの一例ですけど、つまりお金を使わなくても、誰でも居ていい場所がたくさんあり、そしてなんとかやっていける。

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 台湾社会には、「どんな人も、居ていい存在である」という共通認識のような気分があるんです。

 排除されないこと。これって人間的インフラともいえるんじゃないかな。

 知ってる人も多いと思いますけど、先に紹介したデジタル担当大臣のオードリー・タンさんって、元は男性として生まれたんですが、現在は性別を超えたトランスジェンダーとして生きています。

 トランスジェンダーって、まだまだ圧倒的少数だと思うけど、それが台湾で生きていくうえでまったく社会的ハンディキャップになってない。それはタンさんが若き天才だから特別なわけではなく、天才もアホも金持ちも低所得者も同じように、はぐれ者にされることがないんです。

 かくいう私も性的マイノリティというか、LGBTQのジェンダー分類でいうと「G=ゲイ」に当たるんですが、台湾に住んでてそれで困ったことは一度もない……どころか、台湾でわざわざ「ゲイ」って表明する必要がない。表明したところで「あー、そうなんですね」で終了。だって存在してて当然だから。

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「台湾のいちばんの名物は台湾人である」と先に書きましたが、ためしに私が観光旅行で初めて台湾を訪れたときのことを思い出してみると、やっぱり、思い出すのはグルメよりも観光地よりも市井の台湾人。

 ・・・道すがら、バイクに乗った犬を写真に撮ろうとしたら、そんな私に気がついて、撮影しやすいようにわざわざ近くまで来てバイクを一時停止してくれたやさしいおばちゃん。

 萬華でサンダルを買おうとしたとき、「父親が日本語世代だったから」といって日本語で話しかけてきて、私が希望するサイズや色を、お店に通訳してくれた人のいいおじさん。

 淡水駅のロッカーの前で使用説明書とにらめっこしていたら、5分くらいかけて慣れない英語で丁寧に手とり足とり使い方を教えてくれた親切な青年。

 そんなことばっかり覚えてる。

 ・・・私が覚えている人たちは、お店の人じゃなくて、ただの通りすがりの台湾人。私に親切にしたところで、何の得にもならないはずなんです。

「あの人、困ってるのかな?」とか、「台湾に来たら、楽しい時間を過ごしてほしい」とか、思うよりも先に体が動くような自然さで。なんだかものすごくいい風が吹き抜けたみたいな後味を残して去ってゆく。

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 私は結局のところ、日本だったら完全無視される路傍の人々が、台湾ではフツーにイキイキ生きているようすに惹かれていたんじゃないかという気がする。大げさに言うとヒューマニティみたいなもんを、私は道端で毎日目撃していたんだと思う。