さいごはこんな風に結ばれていました。
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・・・母と、おもむろに話しまして。
「今回、病気になってよかったとか、意味があったとか、思う?」
「思うわけないやん!やってられへんでこんなもん!」
オゥ。
病気には意味があるとか、神様がくれた休憩とか、そういう言いまわしは母の役には立たなかった。でっかい管とか、ズルンズルン抜いて、めそめそ泣いてたもんな。全身麻酔明けって身体も精神もダルンダルンになるらしい。
「とはいえ、なってもうたもんはしかたなくて、いまこうやって元気に退院できたから、結果的によかったこともあるで」
「たとえば?」
「ごはんがおいしい。お好み焼きが特に」
「オゥ……」
「っていうかソースだけでもいい。ソースは天才の発明」
ソースを発明した天才に国を1つ授けよう。それくらい、病院で食べるごはんは、どうにも味が薄かったらしい。
「でも、家に帰ってきたらいろんなことが変わってて、びっくりした。良太のグループホームとか、おばあちゃんのデイサービスとかも始まってて。ずいぶん楽になって」
「うん」
「いままではわたしが母やからって、ぜんぶ1人でこっそり抱え込んでて、なんも進まんかってん。でも病気になったから、わたしがいなくなったから、思いきっていい方向に進んだこともあった事実に救われたんよ」
母が倒れて、「もうあかんわ」の名のもとに、バタバタとうちは様変わりした。
時間もお金もたくさん飛んでったし、たくさんの人を巻き込んでしまったけど、「なるようになれ!」の勢いで、清水の舞台から飛び降りるようにガガッと変えられたことは、たしかに、ここに存在する。
「こうやって、いつでも出かけられて、おいしいごはん食べれて、みんなと話せて。病気はもうしたくないけど、いまのわたしは幸せやと思う」
母が今回の手術で取り替えた心臓の人工弁は、10年から15年で取り替えなければいけないと言われているので、また生死をさまよう大手術が控えているのだけど、それは考えないようにしましょう。弱いわれわれは泣いてしまうので。
「あと、あんたの日記を病室で毎晩読むのが楽しみで楽しみで。笑ったら、胸の傷のところが痛くてなあ」
それはそれは。こちらこそ、書いていいよって言ってくれて、ありがとうね。
父が亡くなったあとも、母が手術をしているときも、思ったことがあります。
死を前にして、はじめて、人は勇気を出せるし、心から感謝もするし、なに気ないことに幸せを感じるということを。
死ぬことにぶち当たると、生きることにもぶち当たる。
死ぬっていうのは、大切ななにかを失うこと。日常をぶっ壊されること。絶望の底まで落ちること。つらく、悲しい。
「もうあかんわ」は、わたしにとって、小さな死でした。
もうあかん。
これ以上はがんばれん。
つらすぎる。
しんどい。
ぜんぶやめたろかな。
そんなことをこのところ毎日、思ってきた。毎日、小さく死んできた。
でも、死のあとには生が始まる。命が永遠ではないのと同じで、もうあかん時間も永遠には続かない。
文章に書いてしまえば、不満だらけの現在は、たちまち過去だ。
「もうあかんわ」と言い切ってあきらめたとき、暗い穴の底から見える、ちょっとだけ明るいものとか、見過ごしてたおもしろいものとかを、運よく見つけられた。
・・・
悲劇は、意思をもって見つめれば、喜劇になることがある。
だけども、〝劇〟にするには、遠くから、近くから、眺めてくれる人がいるわけで。わたしの場合は幸運にも、これを読んでくれる、あなたと母がいたので。
・・・
文章にすると、一歩引いたところから落ち着いて岸田奈美を眺めている気分になって。「もうあかんと思ったけど、こういう人に出会えたな」「こういういい偶然が起こったな」「捨てたもんじゃねえな」と、独り言をいって。
余白に、新しい感情が、ぽこぽこと生まれる。
そのうち、なんか起こっても、「前に書いたもうあかんわ日記より、まだマシやな」と笑えた。人生を編集して、無意識に貯めよう、もうあかんわ経験値。
・・・
わたしの取るに足らないこれまでの人生で一番好きな映画「イミテーション・ゲームエニグマと天才数学者の秘密」で、ふつうの人間でありたかったと悩む主人公のアランに、彼の理解者であるジョーンは言いました。
「あなたがふつうじゃないから、世界はこんなにすばらしい」
いつか「あなたがもうあかんと言えたから、世界はこんなにすばらしい」と、言えるようになりたい。あなたにも、わたしにも。
だれかが、もうあかんと伝えて、それが届いてはじめて、変わることってあるはずだもんね。