周りの人がこんなふうになってしまうほどの影響力、すごいです。。。
P114
わたしは矛盾だらけの人間だ。
愛すると同時に、
破壊してしまおうとする
激しい感情をいだく。
ある女性を好きになる。彼女を知りたいと思う。その「知りたい」という欲求はとても強く、おもちゃの中身がどうなっているのか知りたくてバラバラに解体してしまう子どものように、知りつくそうとしました。結果、ピカソ本人も言っているように「破壊」してしまうこともありました。
つねに複数の女性たちと関係をもっていたことも、彼女たちを苦しめました。そんなピカソを非難する声も多いけれど、それが可能だったピカソの魅力も忘れてはならないでしょう。同じ希望をもったとしても、それが不可能な人もいるのです。
結果だけ眺めてみると、最初の妻オルガと愛人のドラ・マールは精神を病み、ピカソの死後、愛人のマリー・テレーズ、二番目の妻ジャクリーヌ・ロックは自殺しました。
精神を病んだドラ・マールは、カトリックに救いを求めました。詩人のエリュアールからプロポーズされて断っているのですが、その理由が「ピカソのあとは神だけ」。
これは、ほとんどすべての愛人たちに共通するセリフです。
P162
友人に聞かれることがある。
「どうしてきみは、どうでもいい
人たちには感じの良い応対をするのに、
友人にはつらくあたるのか」と。
わたしはこう答えた。
「どうでもいい人たちのことなどかまうものか、
だが、友人をたいせつに思えばこそ、
ときどき友情に試練を
与える必要があると思うのだ。
友情が本当にそうであるべき強さを
備えているかどうか試すために」
友情に試練を与える。これについては否定的意見が多数でしょうが、ピカソはつねに、その関係が本物かどうか確認しないではいられませんでした。
詩人のジャン・コクトーは、ピカソの友人たちのなかでも、数多くの「試練」を与えられ、それに耐えた人でしょう。
ピカソがコクトーと出会ったのは二十六歳の冬。コクトーはピカソの八歳年下で、二人の友情はコクトーが亡くなるまで五十年近く続きました。
「ロシア・バレエ団」にピカソをいざなったのはコクトーです。舞台美術ピカソ、舞台衣装シャネル、脚本コクトーという「奇跡のトリオ」による舞台もありました。
ピカソはコクトーに対して辛辣で、けれど、どんなに意地悪されてもコクトーは、距離を置くことはあっても、ピカソから離れることはありませんでした。
死の直前、ピカソについて発言を求められて言っています。「ピカソにおいては欠点も神聖だ。私にとってはこれが天才を律する唯一の規則だよ」。
コクトーとは仲が悪く、互いにピカソを取り合っていた詩人のポール・エリュアールも死の前に言っています。
「この混乱した世紀に生きながら何よりも幸福だったのはピカソに会えたことだ」
ところで4日ほどブログをお休みします。
いつも見てくださってありがとうございます(*^-^*)