大変すぎるように思えてしまうピカソ本人と周囲の人々とのエピソード、驚きつつ読みました。
P32
名前は重要だ。
どんな名前を与えられたのか、
そして自分はどんな名前を
採用するのか。
ピカソの本名はとても長いものです。出生証明書に記載されている名は、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。洗礼名となると、もっと長くなります。
スペインでは聖人や親戚の人たちの名を連ねることがよくありますが、ここまで長いものはあまりなく、待望の長男に寄せる両親の期待が表れています。
画家として活動しはじめたころは、パブロ・ルイス・ピカソと名乗っていましたが、やがて父方の姓であるルイスを外して、母方の姓であるピカソを採用し、パブロ・ピカソと名乗るようになります。
ピカソ、PICASSOという名を使うことにした理由は「ルイスよりもはるかに奇妙で響きがいいから」であり、「もっとも気に入っているのはSが二つあること」だと言っています。Sが重なっているのはスペインではめずらしく、すぐれた芸術家たちが多く出たイタリアにゆかりがあることが気に入っていたようです。
友人たちについても、彼らが選んだ名には、その人のセンスがあらわれていると考え、なぜその名を採用したのか、その理由に関心をもっていました。
P34
誰にでもエネルギーというものはある。
ふつうの人はさまざまな方向に
それを浪費する。それではだめだ。
ただ一つのものに自分のエネルギーを
集中させることが重要だ。
そのために、それ以外のすべてが
犠牲になったとしても。
「ピカソの強烈な自己集中力」については、周囲にいた多くの人が「驚くべきこと」として語っています。
映画や芝居といった娯楽には時間を費やさず、友人たちと過ごす時間も制限し、生活の雑用には時間を使わない。
そうすることで、ピカソは自分のもつエネルギーを強く、創作に集中させました。
休憩なしで三、四時間キャンパスの前に立ち、軽いストレッチをするでもなく、腕を振ることもなく、同じような姿勢で同じ場に長い間立ち続けている様子に、当時の恋人が「疲れない?」と訊ねたとき、ピカソは次のように答えました。
「まったく疲れない。わたしは仕事をしている間、体はドアの外に置いておくからね。イスラム教徒がモスクに入る前に靴を脱ぐようなものだよ」
P38
手に入れたものを、
どうして捨てなければ
いけないのか?
「新しいものが好きなきみが、どうして何でもとっておきたがるのかわからない」と友人が言ったときのピカソの返答です。
恋人の一人も言っています。「ピカソは何一つ捨てようとしなかった。埃でさえも、古い手紙とかもろもろの紙切れなどと同じように彼の宝物に属していた。あらゆるものが積み重ねられる。けれど、それにもかかわらず、つねに彼は何がどこにあるのかきちんと知っている」。
ピカソの部屋はいつだってものであふれ、雑然としていました。
ものだけではなく動物もたくさんいました。ピカソは部屋で動物を飼うのが好きだったのです。猫、犬、尾長猿、亀、白鼠、山羊など、どんなに臭く不潔であろうとも、どんなに同居している女性から嫌がられようとも平気でした。
「わたしはものごとの価値というものを、自分の愛情の度合いに応じて決める」と言っています。
P107
愛人の一人である詩人のラポルトは「ピカソからもらった唯一のアドバイス」について書いています。ピカソは彼女に言いました。
「創りなさい。続けなさい」
この言葉はシンプルだけど、ピカソの九十年近くに及ぶ創作活動のすべてだとも言えるでしょう。
晩年の言葉があります。
「作品をつくっては破棄することの繰り返しだ。そこに安らぎなどはない。……自分の可能性に絶望し周囲の世界に飽きても、努力を続けなければならない。疲れ果てるまで試行錯誤をひたすら繰り返すだけだ」