体験を分かち合うこと

イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる ローマ発 人生を100%楽しむ生き方

 なにかドラマを見ているみたいに、登場する人たちの笑顔がいっぱい浮かびました。

 

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 ・・・一般的に、特にローマ以南のイタリアでは、「独占」を嫌悪し「分かち合い」に価値を置く傾向が強い。そこには、カトリックの「分かち合い」の精神が深く関係しているように思える。・・・

 金銭に限らず、どんなことでも「分かち合いたい」という傾向は、日常の中でもひんぱんに見られる。・・・

 私が結婚した時もそうだった。

 結婚を決めた当時、私はまだ大学のマスターコースにいて、修士論文を書き上げるまでは仕事が手につかない状態だった。彼は大学の研究室で助手として働いていたが、国立大学の研究室は慢性的な資金難で、給料もいつ払ってもらえるかわからない状況が続いていた。そんな二人が結婚しようというのだから、「ドレスや披露宴などは一切なし!」と決めたのも当然のことだった。

 イタリアの結婚式は通常、教会か市役所で行われる。・・・式は法的な手続き上の書類を市長が読み上げ、その書類にサインをするだけ。費用は無料、・・・ものの15分もあれば済む。服装もいたって自由なので、私たちはいつものジーンズで行けば良い、と話していた。

 ・・・

 ・・・友だちのサンドロから電話がかかってきた。

「おぅ、日にちと時間は決まったか?」

「あ、うん、決まったよ。でも、この前も言ったけれど、残念ながら誰も呼べないのよ。・・・」

 親しい友人らを招いて披露宴ができないことは寂しかったが、背に腹は代えられないのでそう言った。すると彼は、

「そんなのはどうでもいいよ。でも、俺は式には参列するからな」と断言した。

 あの、たった今〝呼べない〟と言ったのですが……。

「披露宴は、だろ?教会でも役所でも、式は誰だって立ち合えるはずだぞ。まさか、〝二人だけで〟とか考えてるんじゃないだろうな?俺は呼ばれなくたって行くぞ。こんな大イベントを逃してなるものか!」

 ものすごい勢いでまくしたてられた。

 ・・・まさかたった15分のために大勢の人を呼んでそのまま解散というわけにもいくまい。そう思っていたので、友だちにも家族にも声はかけなかったのだが、周囲はそうは受け取らなかった。

「二人だけでなんて、ズルい!私だって、お祝いに参加したい!」

 ・・・

 私の友だちはもとより、彼の友人・知人、家族から立て続けにかかってくる電話に、私たちは青ざめた。これでは「ささっと簡単に済ませる」なんて、到底できそうもない。・・・

 そこからの二ヶ月間は、まるで悪夢のような騒ぎだった。

 急遽、周りに押される形で、「簡単な披露宴をやろう」ということになった。・・・車を持っている友だちや家族が入れ代わり立ち代わり、時間を見つけては私たちと一緒に郊外の安くて美味しいと評判の店の食べ歩きにつき合ってくれた。・・・「丘の上の山小屋」は、レストランと呼べるほど高級ではないが、料理は絶品、料金は格安。周囲の野原には、放牧された牛たちがのんびりと草を食んでいる。「ここで披露宴をしたい」と言った私たちに店主は驚いたが、事情を話すと気前よく「休日だが特別に貸し切りにするよ!」と承諾してくれた。

 ドレスは「いまさら恥ずかしい」という気持ちと予算がないことから、適当に白っぽいワンピースでも買おうと決めていた。だが親友のバルバラは、「私はそんなのは嫌よ!」と言い張った。

「あなたが結婚する日を待ちこがれていたのに、花嫁の友だちにとって最高に嬉しくて楽しいドレス選びができないなんて哀しすぎるわ」

 ・・・

「お祝いを何にするか考えていたんだけど、決めたわ。私がドレスをプレゼントする。でも一つだけ条件があるの。ドレスが仕上がるまでの工程には、私も必ず立ち会わせてちょうだい。友だちの知り合いに舞台衣装デザイナーがいて、電話したら超特急で、料金も格安で作ってくれるって。明日早速、生地を選びに行きましょう!」

 うきうきと弾む彼女の声を聞きながら、私は感激で涙がこぼれそうになった。

 ・・・同じように、ケーキはお菓子作りの名人である別の友だちが作ってくれることになり、引き出物は日本の母の友だちが、趣味でやっている和風小物を手作りで用意してくれることになった。

 一方、彼の方の支度は、4人の親友グループが請け負ってくれた。礼装のスーツを探してみんなで車を飛ばし、郊外のアウトレットまで買いに行った。・・・

 私たちのために、一人ひとりの友だち、家族が寸暇を惜しんで手を貸し、できる限りの助けを与えてくれたおかげで、簡素ではあるけれど、温かい笑いに満ちた結婚式を挙げることができた。私たちの式のことは、今でもみんなの語り草になっている、あの日のことを話す時、「私がケーキを作った時にこんなことがあって……」、「俺たちがスーツを選んでいる時、誰かがこんなことを言って……」と、友だちや家族の誰もが、それぞれに自分の体験談を語り出す。

 同じ時間、同じ場所で、同じ体験を分かち合った嬉しさや楽しさが、彼らと話すたびに蘇ってくる。この日の思い出は、私たちにとってかけがえのない宝物となった。・・・