田村セツコさんのエッセイ、気分が明るくなりました。
P2
自分の身に起こることは、全部、素晴らしいことなの。
嬉しいことも、悲しいことも、イヤなことも、楽しいことも、ツラいことも、何でも自分の栄養になることばっかりよ。
だから、イヤなことなんて、実は全然ないのね。
ごちそうっていうのは、甘いのもあるし、苦いのもあるし、ピリ辛のもある。だから、この部分をなくしたいとか、捨てるところはないの。そういう積極的な気持ちでいれば、すべて受け入れて自分の栄養にできるわけ。
つまり、イヤなことがあっても、それは自分の栄養になっているから、捨てるところではないのね。
ごちそうの甘味とか、塩味とか、辛味とか、渋味とか、旨味とか、そういうふうに受け止めるわけ。
渋いものを味わったあと、他のものが甘く感じたりするじゃない?
反対に、渋いものを食べたら、甘くないものでも甘さを感じたりね。
まさに人生とは、そういうこと。素晴らしいと思わない?
P34
「忘れる練習・田舎の勉強・京の昼寝」っていう言葉が大好きなの。
勉強しまくるガリ勉ではなく、時にはのんきに昼寝して、心に風を入れましょうってことね。
忙しいときに、あえて昼寝するっていうのが余裕がある感じがして素敵ね。
京の昼寝って、なんだか余裕があってカッコいいわ。
この言葉がとても好きだから、自宅のカーテンに「忘れる練習・田舎の勉強・京の昼寝」って書いちゃったくらいよ(笑)。
P62
生きている間は、いろいろ考えたり、工夫したりするじゃない。それって、脳トレじゃないかしらと思うの。
それに人は、家事もするわね。物を片付けたり、お掃除したり、料理したり、お茶碗を洗ったり……。
こういうことは、身体をいろんなふうに使うからなるべく自分でするの。それに、楽しんで家事をすれば、筋トレになるのよ。
つまり、生活そのものは、脳トレと筋トレで成り立ってるってわけ(笑)。
困ったことがあると、その対応に頭というか脳を使うから、困ったことがあっても「今、脳が活性化してるわ!脳トレよ!」なんて思うと、困ってたはずなのになんだか楽しくなっちゃうわよ。
筋トレも同じね!
ジムなんかに行って、いろんなプログラムをこなすよりも、家事をすることが運動になってる。
だから、私は、〝お家ジム〟って呼んでるの(笑)。
お金はかからないし、用事も済むし、プラスばっかり!
ものすごく得した気分になっちゃうわ。
P162
潔く手放すことができれば、やがてプラスになることが意外と多いの。
あんまり拳を握って、何かをずっと手放さないで握り締めているよりは、パーッと手を広げて、握っているものを放して、自由にしてあげれば、良いことがあるみたいな感じね。
とても感覚的なものなんだけど、あんまり抱え込まないで、手放す。
これは、けっこう渋いわね(笑)。
得るよりまず手放すっていうのは、よりお洒落だわ。
私は、手をパーにして何かを手放している人をお洒落だと思うの。
見た目とかじゃなくって、精神的なお洒落ね。
握ったままだと、何も得られないもの。
パーッと手放さないとね。
P180
私は、子供のときの自分、せっちゃんとよく話をするのよ。
「今の私ってどうかしらー?」みたいに、ちょっとチェックしてもらうの。すると、せっちゃんは、「いいね!いいね!」とか、「まあまあね」とかって言って、ほとんど満足してくれるわ。せっちゃんに納得してもらえると、なんだか嬉しい。
・・・
・・・体がポカポカしてエネルギーも出るわ。ホットあんかみたいなものね。
心の中にそういうあったかい塊を持ってることが大事なの。それが、子供のときの自分なのよね。