これからを生きる人へ

これからを生きる人へ (PHP文庫)

 瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの対談本です。

 

P5

 美輪さんの生きる信条は、「何事も腹六分目」ということのようです。口では容易いけれど、本来欲張りの人間には、なかなかそれが守れません。でも考えてみれば、私たち人間の悩みというものは、あれが欲しい、これが欲しいと、欲の固まりからくるものです。・・・

 そうした自分の欲望を腹六分に減らしたら、私たちの心は、常におだやかで平安に過ごせるわけです。でもそれがなかなかできません。できなくても、そういう方法があると知っているのと、知らないのとでは、生き方の楽さが違います。美輪さんのそんな話も、ユーモラスに話してくれると、会場の聴衆はみんなうなずいて、拍手が湧くのでした。・・・

 

P16

瀬戸内 あの世にお土産を持っていくとしたら、私はこの世に生きた間に数多くの素晴らしい方たちとお付き合いをしたという、この経験が一番のお土産だと思っています。男の人も女の人も、お年寄りも若い人も、これはと思うような、たくさんの素晴らしい人たちと、とっても仲良くしていただいたんですよ。

 ・・・

 美輪さんと初めてお会いした時、ずっと昔からのお友達のようにいろんなお話をしてくださった。・・・

 ・・・

 ・・・中でも一番印象的だったのは、美輪さんがご自分の未来に関する話を聞かせてくれたことでした。

「私は今はまだこの程度だけれど、今年の終わりに、すごい男の人が現れて、その人のおかげで、来年の正月から私はとても有名になるんです」と、つまりご自分の未来を予言されたんです。

私は「ほう、そうですか」って、その時はぼんやりと聞いていたのですけれど、その通りになりましたよね。すごいですよ。予言力!不思議な力を持っているんですね、美輪さんという人は。

美輪 寺山修司さんとアングラを始めようということで、寺山さんが私のためにお芝居を書いてくれましてね。それが大当たり。成功をおさめることができたんです。

 

美輪 『女徳』は祇王寺の尼さんの物語で。

瀬戸内 新橋の芸者から京都の祇王寺の庵主になった高岡智照尼さんをモデルにして書いた小説です。

美輪 智照尼さんには私もお目にかかったことがあります。尼さんになるまでの人生が波瀾万丈で。色盛り、女盛りで。そういったことを経て尼さんにおなりになった。

そして、瀬戸内さんも。当時は知る由もありませんでしたが、瀬戸内さんは、あたかもあの小説が暗示であったかのような生き方をなさっているのですよね。それで、今は徳を積んでいらっしゃいますでしょう。人々を身の上相談でお救いになって。

瀬戸内 そうでしょうか。

美輪 それまでにも数多くの作品をお書きになっているというのに、私は『女徳』という、瀬戸内さんの人生における暗示的な役割を果たした作品を通じて瀬戸内晴美という作家を意識するようになりました。

それがなかったら、インタビューを受けたからといって、その後の交流に発展しなかったと思うんです。そのあたりに私と瀬戸内さんの関係性に因縁めいたものを感じますけれど。

 

P110

美輪 ・・・大切なのは外見ではなく中身です。そのことに私は比較的早い段階で気づいていたんですよ。

 ・・・

戦前、父はお風呂屋も経営していたんです。ですから、いろいろな人が来ますよね。・・・

 ・・・立派な身なりの人が裸になると「エーッ」っていうような、干物をそげ落としたような気の毒な身体だったり。かと思えば肉体労働をしているおばさんやおじさんが汗まみれの服を脱いだら、下からマイヨールの彫刻かというくらいに素晴らしい身体が現れたり。

少年だった私は、そうした光景を目の当たりにして、「着ているものなんてインチキなんだ。裸がこの人の本物なんだ」と思ったんです。

カフェにいたらいたで、お偉いさんが、お酒を飲んで乱れる様子を目撃します。・・・またもや私は「えっ、この人の昼間の顔は一体なんなの?もしかして、こっちが本物なの?」と考えてしまいました。

以来、私は人を見る時に、着ている物、容姿容貌、つまり顔形、年齢、性別、国籍、肩書といった外見は一切見ないで、目の前にいる人の心の純度がどれだけ高いか低いか、美しいか、優しいか、思いやりがあるか、そっちばかりを見るようになったんですね。

瀬戸内 なるほどねぇ。

美輪 だから私は言うんです。「見えるものは見なさんな。見えないものを見なさい。それは心ですよ。目の前にいる人の心が純粋かどうか。それだけが問題です」って。

そういう価値観で人を見るようになったので、自分が綺麗だとか汚いだとか、そんなことは仮の姿であってどうでもよろしい。顔がどうであれ美しい心の人はいるわけだしと、思っているんですね。

 

P138

瀬戸内 私、美輪さんのお経を聞いたことがあるんです。もうね、声がいいでしょう。それに堂々としてお経を上げておられ、傍らで聴いていてうっとりしました。素晴らしいお経でしたよ。本当にお坊さんになったほうがいいんじゃないかな。

美輪 お坊さんじゃなく、尼さんです(笑)。・・・

 ・・・読経の心得は共通しているんです。拝んでいる時には、雑念を一切取り省いて何も考えないこと。ガラス玉や水晶玉のように、自分の心が澄んだ状態をイメージします。清らかで、慈悲にあふれていて、優しく。けれど頭は冷たく。冷静さを保ち、いかなる天変地異があろうと決して感情的にならない。どんなことがあろうとも常に冷静沈着。

つまり、読経の際に大切なのは、心は温かく、頭は冷たくという、そのバランスですね。そのバランスを整えながら、私は、我は仏である、仏である、仏である……と、つまり純粋なエネルギー体、まあるいエネルギー体であると自分に言い聞かせます。

仏壇とか神棚というのは、いってみれば電池なんですね。心にエネルギーを充電するために、向き合うわけです。

 ・・・

拝む時には、雑念を取って、清浄なエネルギーを充電する。それを繰り返していると、自分自身が清浄に研ぎ澄まされてくるんですよね。

一日一回、神と対話する時間を持てば、どなたでも清浄な光を放つ人になることができる。そうするといろんな現象がね、善いエネルギーが働くんですね。