ことばの力

古賀史健がまとめた糸井重里のこと。 (ほぼ日文庫)

 このエピソード、印象に残りました。

 

P88

 ぼくの書いてきたコピーのなかで、いちばん有名なものといえばやはり西武百貨店の「おいしい生活。」なのでしょうね。1982年の広告ですから、ずいぶんむかしの仕事なんだけれど、いまでもよく話題に取り上げていただいてます。

 あのコピーは、国際線の飛行機で考えついたんですよ。その前年、ぼくは西武百貨店で「不思議、大好き。」というコピーをつくっていました。それで「不思議といえば七不思議、エジプトのピラミッドだ!」とエジプトロケを敢行したんだけど、とにかくフライト時間が長い。そして機内食がまずい。しかも降りることができないでしょ?もう「なにも贅沢は言わないから、お茶漬けでもいいから出してくれ!」っていうくらい、うんざりしていました。

 そのとき急に浮かんだのが、このことばです。それこそ映画の登場人物みたいにペーパーナプキンに書きとめました。手応えは、最初からありましたね。「おれはもう、これ以上のコピーは書けないんじゃないか」とさえ思いましたから。

 ・・・いま振り返ってみると、やっぱり・・・代表だった堤清二さんから学んだことが多かったですね。・・・あのとき堤さんと一緒にお仕事をすることができて、ほんとうによかったと思っています。

 堤さんとの関係でうれしかったのは、「真剣に耳を傾けてくれること」。

 だって、まだ30歳そこそこで普段着のぼくが、おおきな会議室で靴を脱いで、椅子の上にお猿さんみたいな格好でしゃがみ込んでいるんですよ。それでタバコをぷかぷかふかしながら、堤さんやスーツ姿の幹部の人たちに向かって、生意気なことを言っているんですよ。

 それでもちゃんと耳を傾けてくれるし、一緒になって考えてくれる。・・・「経営の世界にも、こんなおとなの人がいるんだ」と驚きました。・・・

 ・・・

 堤さんとの印象的な思い出でいうと、・・・没になったコピーの話です。

 当時の一般的な企業では、女性社員が結婚すると「寿退社」というかたちで退職することが、半ば当たり前のようになっていました。ましてや、子どもが生まれるとなれば出産・育児に専念するため、退職する。・・・それが当然だし、喜ばしいこととして祝福されていました。・・・

 そうしたなか、西武流通グループでは「ライセンス制度」というあたらしい人事システムを創設することになりました。結婚、出産、育児で退職した女性社員の職場復帰を全面的にバックアップする、当時としてはかなり画期的な制度です。

 ・・・「次の企業広告では、このライセンス制度を紹介しよう」という話になりました。

 広告に使う写真は、ライセンス制度を使って寿退社した第一号社員の花嫁姿。

 そしてぼくは、その写真に「人材、嫁ぐ。」というコピーを書きました。

 わたしたちの会社(西武流通グループ)では、女性が「おんなのこ」としてではなく、能力と人格をともなった「人材」として働いている。その大切な人材である女性社員が嫁いで(つまり退社して)しまうことは、とても惜しい。・・・大切な人材であるあなたに、いつでも戻ってきてほしい。

 説明すると野暮になりますが、そんな意味を込めたコピーでした。・・・

 黙ってプレゼンを聞き終えた堤さんは、ぼくのほうを見ることなく、幹部社員の人たちに向かって静かに口を開きました。

「女性が結婚をするとか、出産するということは、その人の人生にとって、もっとも大切なことですよね?」

 ことばは丁寧ですが、堤さんは怒っているときほど、ことばが丁寧になります。

「その女性は、ひとりの個人として、結婚という大切な人生の門出を迎えたんですよね?」

 そうです、としか言えません。

「もっとも喜びに満ちた、ひとりの女性の、大切な人生のイベントを……仕事が大好きで生産性やら効率やらのことばかり考えている西武百貨店のお偉い方々は、『ああ、役立つ人材が嫁いでいく』というふうに見ているんですか?ひとりの人間として祝福されるべき結婚式の花嫁姿を目にして、『人材が嫁ぐ』と考えているんですか?」

 語調は、だんだんと激しくなっていきました。

「こんな企業の論理を、女性たちに押し付けるようなことが、ぼくらのやりたかったことなんですか!」

 ぼくの書いたコピーで、社員の方々が濡れ衣を着せられているような気がして「書いたのはぼくなので、いちおう説明させていただきますが……」とことばを継いだのですが、どんなことを言ったのかもおぼえていないし、なにかが言えたはずもありません。もう、完全に打ちのめされましたね。

 ほぼ日をつくってからのぼくは、「効率」や「生産性」、あるいは「優秀な人材」といったことばに、一定の距離を置きながら組織づくりを進めてきました。ぼくなりに「ひとりの人間としてのわたし」を大切にする組織をつくってきたつもりです。

 どんなに経営が苦しいときでもそう考えることができる自分がいたのは、あの会議のおかげだと思っています。一生忘れることのできない会議ですね。