転機

古賀史健がまとめた糸井重里のこと。 (ほぼ日文庫)

 この感覚とか考え方、大切だなと思いました。

 

P152

 ほぼ日の転機は、挙げればそれこそ毎年のようにあるんですが、いちばんおおきなところでいうと、やっぱり東日本大震災でしょう。ぼく個人もあそこで変わったし、会社もおおきく変わりました。もともと震災とは関係のないところで、おおきく変わらなきゃいけないタイミングだったんです、あのころのほぼ日は。

 震災の前年、2010年あたりのほぼ日には、どこか停滞した空気が漂っていました。

 ・・・ものすごく多いとも言えない、けれども決して少なくはない人たちが、ぼくらのことを好きでいてくれる。数字も順調に伸びている。なにも悪くないし、こうなることを望んでいたんだけれど、なにかが止まっている感じです。

 ぼくはそんな空気が、とても怖かった。これじゃただのヒッピーだよ、と思っていました。みんなで歌って踊ってたのしいのかもしれないけれど、このまんまだといつか「なくてもいい会社」になるぞ、という猛烈な危機感があったんです。たぶん、うちの乗組員たちも心のどこかで「このままでいいのかな?」という思いは感じていたと思います。

 ・・・

 それで3月11日になるわけですが、・・・

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 ・・・震災直後、経営者として最初に思ったのは「これでつぶれてしまうかもしれない」でした。東北はもちろんのこと、東京もどうなるかわからない状況ですから。

 そこから、あらためて「会社って、なんだろう?」と考えました。会社が最低限やるべきこととはなにか。経営者はなにをするべき存在なのか。震災が金曜日でしたから、土曜と日曜、ひとりでじっと考えました。ぼくが行きついた結論はシンプルで、とにかく「給料を払うこと」。社長のいちばん大事な仕事は「給料を払うこと」なんですよ。

 それで週が明けた月曜日、会社のみんなを集めてこう言いました。

「みなさん、いま不安でしょうがないだろうけど、これから2年間は給料を払います。そこは安心してください。たとえぜんぶの仕事が止まったとしても、2年間は払い続けます。そして、その2年間をかけて一所懸命なにかをやったら、きっと次の1年分の稼ぎにはなるでしょう。だからみなさん、その『3年間は大丈夫』という前提に立って、いまほんとうに困っている人たちに向けてなにができるのか考えましょう」

 会社のなかに、さっそく東北関連のプロジェクトが立ち上がり、人が集まっていきました。「東日本大震災のこと」というページがつくられました。なにができるかわからないけれど、ぼくらの力なんてパワーショベル1台分にもならないだろうけど、「できることからはじめよう」と。

 こういうときに気をつけなきゃいけないのは、力になりたいという気持ちが空回りして、無力感に襲われることなんですよね。「自分もなにかしたいけれど、なにもできていない」とか「こんなことやっている場合じゃない」と自罰的な気持ちになって、仕事が手につかなくなる。とくにほぼ日の場合、毎日更新するメディアですから、どうしても机に向かいながら「こんなことをやっている場合だろうか?」という気持ちが強くなってくる。

 だから、震災直後のころは何度も「ぼくらが呼ばれるときはかならずくるから、それまでは自分の仕事をしっかりやって、力を蓄えていよう」と言い合っていました。あそこから、ぼくらは鍛えられたし、変わりましたよね。