光りが届く

宇宙のカケラ 物理学者、般若心経を語る

 このようなことが腑に落ちつつも、すごいな~不思議だな~と思います。

 

P124

 私たちは、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という五つの感覚器官で、外界と接しています。たとえば、今、目の前で起こっている出来事として、花火を見ているときのことを考えてみましょう。

 花火が美しい光の花を開かせたその一瞬とは、見ている人にとっては、すでに過去の出来事です。炸裂した花火の場所から、観察者のところに光が届くまでに時間がかかっているからです、そして、それからしばらくの後、ドカンという破裂音が聞こえます。光の速さは毎秒およそ三十万キロメートル、音の速さは、その九十万分の一で、毎秒三百四十メートルという違いがもたらした現象です。光で見るか、音で聞くか、で見る人の「今」は違ってきます。

 仮に、すぐ目の前で起こっていることであっても、すべては過去の出来事です。というのも、その出来事が光としてあなたの目に入ったとします。その光は、目の細胞を活性化させ、電気信号に変換されますが、その電気信号は、視神経の細胞をつぎつぎに伝わり、脳に届きます。そこで、さまざまな情報処理が行われて、「見えた」という認識がもたらされます。その時間は、およそ〇.一七秒くらいだといわれています。音は、それよりも少し早く、〇.一三秒くらいだそうです。とすれば、光と音がすぐ目の前で同時に生じた場合、音のほうが〇.〇四秒早く認識されるということです。特に、暗闇で発生した光の認識には、さらに多くの誤差が生じるはずです。しかし、人は、それをほとんど、同時だと認識します。それは、脳が、それらの認識の差を調整して「同時」にしているというのです。いわゆる「同時性の窓」と呼ばれている現象です。

 こうして考えてみると、ある現象が同時に起こったとしても、各人各様に認識することになり、客観的な同時は存在しないことになります。極端な表現ですが、私たちが感じる「今」は「幻」のようなものです。さらに、宇宙規模にまで話を広げると、今、月とオリオンを同時に見ていると思っても、月は一秒前の月の姿ですし、オリオンは数百年前の姿です。

 さらに、目の前で光を一回点滅させ、音を一回鳴らす実験をしたとします。被験者は「光が一回、音が一回」と答えます。つぎに、光を一回、音を二回鳴らすと、ほとんどの被験者は「二回光り、二回音がした」と答えるそうです。脳が、勝手につじつま合わせをしてしまうのです。私たちは、正常な認識の中でも、「ないものを見る」ことがあるのです。それが脳の特性です。

 このように現実と私たちの意識の間には、「ずれ」があり、それを脳は、絶えず修正しながら、意識をつくろうとしています。そのことによって、外界で起こっている出来事を、私たちはつじつまの合った物語として認識しているのです。つまり、時間の流れそのものを脳はつくり出しているわけです。これが、「五蘊皆空」であり、したがって「受想行識」をはじめとして、「不生不滅」、「不垢不浄」、「不増不滅」、「無限耳鼻舌身意」「無色声香味触法」、「無限界乃至無意識界」と「すべて〝空〟である」と続くのです。

 

P130

―実体とは何だろうか―

 

 海とかもめ

 

海は青いとおもってた、

かもめは白いと思ってた。

 

だのに、今見る、この海も、

かもめの翅も、ねずみ色。

 

みな知ってるとおもってた、

だけどもそれはうそでした。

 

空は青いと知ってます、

雪は白いと知ってます。

 

みんな見てます、知ってます、

けれどもそれもうそかしら。

 

 (金子みすゞ

 

P172

 最近、夜空を見上げていますか?・・・

 私たちは星を「見る」「眺める」といいますが、それは花や景色を見たり眺めたりする場合とは違った脳のはたらきで見ているのです。花や景色を見るときは、視覚で全体をとらえているのに対し、星を見るという営みは、遠い過去にその星を旅立った光と、それを見ているあなたの瞳がピンポイントでコンタクトしているということ。つまり、広大な宇宙と宇宙の産物であるあなたが、ダイレクトに触れ合っているということなのですね。・・・

 ・・・

 ・・・たとえば肉眼で見えるいちばん遠い天体、アンドロメダ銀河(M31)は、地球から二百三十万光年離れています。あなたがそれを見上げているということは、二百三十万年かけてその銀河からやってきた光とあなたの目が今、ここで、この瞬間に触れ合ったということです。あるいは、逆に考えて、あなたのまなざしが、二百三十万かけて、アンドロメダ銀河に今、届いた、といってもいいですね。時をかける「まなざし」です。これは、宇宙体験のひとつだといってもいい過ぎではありません。・・・