こころの声を聴く

こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)

 河合隼雄さんの対話集、ずいぶん前のものですが、面白かったです。

(単行本で読んだので、ページ数は↑の文庫とは異なります)

 

 こちらは白洲正子さんとのお話です。

P86

河合 青山さんの言葉もすごいけど、白洲先生の地の文がまた面白いんです。例えば「人は相手のことが理解できなくても好きになれるものだ」とか「あんまり本当のことを言い過ぎても世間は許してくれない」とか、ちらっちらっとはさむこの文章がたまりませんなあ。一日一言カレンダーが出来そうなくらいありますよ(笑)。

 それから、先生は青山さんというのが百万人に一人の暇人だと言っている。私は、これが「いまなぜ青山二郎なのか」の答えのひとつだと思います。これが今いない。

白洲 できないのでしょうか、やっぱり。

河合 どこかの企業なりパトロンが、百万人に一人の暇人に金を払えばできるんです。つまり芸術というのは何もしない人に金を払ってないとだめなんです。何もせん人に金を払っているうちに何かする人が時々現れるんです。それが今は、何かする人にしか金を払わない。なんでも計算してしまいますからね。計算を越えたところに金を払うべきなんです。昔の貴族たちはそうしてましたよね。私の好きな言葉に「芸術は贋物を厚遇しなければだめだ」というのがありますが、本物だけを厚遇しようとすると、本物は出てこなくなるんです。何にもしない人というのは、なくてはならない存在なのです。つまり、青山二郎がいるから小林秀雄が出てくるんです。だけど、青山二郎にそのことで金を払ってお礼するというのは、なかなかむずかしい。なぜ払わなきゃいけないんだということが説明できないから。だから小林さんは必死で、何とか青山さんに金儲けをさせようとする、けど、青山さんはそれをしない。

白洲 それをやると青山二郎じゃなくなるから。

河合 ただここでむずかしいのは、本当に何もしないで金を貰うというのは素晴らしいことなんだけど、金を貰うと卑屈になったりする。堂々と何もしない、これです。こういう人は金を借りるというのは当たり前のことなんです。

白洲 そう、私もジィちゃんにタクシー代を払ったり、酒代を払ったりしたけど、それが当たり前っていう感じだったし、私もそう思っていた。