自己と非自己

こころの声を聴く―河合隼雄対話集 (新潮文庫)

 

 こちらは多田富雄さんとのお話です。

 

P173

多田 私、河合先生の『とりかえばや、男と女』という御本を読んで、生物学的にも非常に面白いと思ったんです。たとえば免疫学では自己と非自己などといいますけど、自己という時には、自分が男か女かというのも自己の条件に入りますね。

河合 そうそう。

多田 どうして自分は男なのかと考え始めますと生物学的には非常にわかりにくいことなんです。というのは、一般的にはY染色体を持っていれば男といいますけど、Y染色体を持っている女の人もいるわけです。たとえば男になるためにはアンドロゲンというホルモンが必要ですけれども、そのアンドロゲンに対するレセプターを持っていない人は、もともとXYで生まれているにもかかわらず、女の方よりも女性のように見えます。ただ、XYですから子供を産むことが出来ないんですが。・・・遺伝的に男と女が決まっているといいますけど、そんなことはないんです。それじゃあどうして決まるかといいますと、どうも、もともと人間は女であって、なんとかして男という役割分担を作るという目的だけでY染色体というのが働くんです。

 ・・・

 ・・・もともと性ホルモンというのは女性ホルモンの形で作られるんです。ほっとけばみんな女性になっちゃうんですけど、Y染色体のほうから、女性ホルモンを男性ホルモンに変えるような指令が出るんです。そうしますと、男性ができるんですね。私たちはそういう存在なんです。・・・

 私は女性というのは存在だと思いますけども、どうも男というのは現象にすぎないんじゃないかとこのごろ思いだしてきたんです。

河合 男はだいたい無理しているわけですよ。無理せんやつは、また生きにくいしね。

多田 ほんとにホルモンのシステムなんかでも、無理して男にしているんです。

河合 それに、さっきから言っている外から入ってくる刺激もいっぱい作用するわけですから。そして、体のほうがそうであるのに、今度頭の中で勝手に男というのはこういうもんだと思っている人がいるわけですね。男は、たとえば強くなければいけない。絶対そんなことないんですけどね、勝手に思っている人がいる。そういうふうになるとますます混乱するわけですよ。男であっても、べつに弱くてもいいじゃないかということがわかったら、人生はずっと楽しくなってきます。だから人間というのはものすごい可能性をもって生きているんだけど、人間の意識というのは、それをとても狭めている。本当にもっと体に見習うべきだと僕は思ってましてね、体のほうが上手にやっているのに、意識のほうは下手くそでね。またそれが人間なんだといってしまえばおしまいかもしれませんけど。

多田 男は女にとって異物なんです。ところが男にとって女は異物じゃないんです。というのは、X染色体というのは両方とも持っていますから、X染色体で作られるものに対しては、自己だと両方とも思っているわけです。ところがY染色体というのは男だけしか持っておりませんから、男性の臓器を女性に移植しますと、男性と女性の違いだけで拒絶反応が起こることがあるんです。・・・女性の細胞を男性に移植してもそれはセルフだと思ってしまうんです。

 ・・・

 ですから、私は、男女の違いというのも、DNAで全部決まっていて、そして、それに対しては文句が言えないと思っていたと思いますけれども、実際にはフレキシブルな時期があって、発生のある特定の時期に男性ホルモンが働かなければたいていみんな女になってしまうということなんですね。

河合 それは男性と女性の本質にもいろいろ関係がありますね。女性が男性的にやろうと思えば相当出来るということですね。

多田 そうですね。

河合 ただし、まさに無理をしなくちゃならないけれども。男はそもそも無理しているんだから。

多田 無理して男になっているわけですね。

河合 人間の意識というものは、古来どの民族を見てみても、限定して固く自分の意識をつくり上げる方向に来ていたと思います。ファジーなところをなくして、明確に限定して整然としたシステムをつくり上げようというふうにしてきて、それの頂点まで行ったのが西洋人の自我ではないかと思っているんです。その方法で成功してきた。ところが今、ああいう西欧流の非常に固い、整然としたシステム、そして自己と非自己を完全に見分けて、自分の自己のあり方とか、自己と非自己の関係というのをもう一ぺん考え直さねばならない時が来ているとおもうんです。そういう時に、免疫学のほうからこういうお話しがでてきたので、僕はたいへん喜んでいるんです。

 意識的に私とあなたとか、自分と外界とか分けているけれど、本当はそんなふうには分けられない。他人の考えがまるっきり僕を支配している時があるし、周りに何かふらっといるだけで、僕の意識はものすごく変わっているわけですから、その区別というのはすごくあいまいではないかと思いますね。