夢を意味づけない

ユング心理学と東洋思想 (河合隼雄全対話)
解釈によって、逆戻りしてしまうというお話、大事だなと思いました。

P130
ヒルマン ・・・夢に出てきたその"弟の声"を、彼自身の内面に住んでいる彼自身の弟の声として聞いたり、あるいは、その夢の中の"弟"と現実の彼の弟との関係を、関係的な意味で把握したり、または、現実の弟に対する夢の中の"弟"の態度や、より一般に、世界における兄弟性、つまり同胞性を正しく把握したりすることは、極度に難しいことで、そんなことは、何ひとつ起らないんです。ただ、ただ、"私は弟の夢を見た、そしてそれは私の弟だった。私は二日前に彼に会った"とか、なんとか。それでおしまいなんです。まさに、平面的、一次元的なんです。・・・したがって、最初の準備段階で、われわれのやるべき大仕事は心的主体性(サイキ)の、このような、即物的な、言語意味以前の、単次元的地平・・・と取り組んで、イメージを伴ったひとつの比喩的意味世界にまで到達するようにすることにあるようです。
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 夢を支配することができるとか、夢を解釈することができるとか、夢を完全に理解できるとかそんなふうに考える意識そのものを論破するために、夢は、まさに、そこに存在しているんだ、ということなんです。夢の研究とは、夢を意味づけることができるという意識の能力を否定することによって、夢がついに、夢自身の、理性的意識に対する優位性を確保するに至るまでの長い修行過程にほかならない、とも考えられます。
 われわれ西洋の心理分析家たちは、いつも意味を知りたがるんですが、もし、河合サンがおっしゃるように、夢解釈などしないで、夢を、ただ自由に、生起するがままに任せておくことができさえすれば、意識が夢を解釈するのではなく、むしろ逆に、夢によって意識が解釈される、ということになるはずです。
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河合 ・・・私は夢分析の実際においては、解釈をせず聞いているだけで、患者さんは下へ下へと下降していきます。そしてその人が、自分の意識を越えた何ものかが存在すると感じたとき、その後は、・・・すべてのものが違って見えてくるというのに相当する状態が生じてきます。何か超越的なものに対するセンスを持った後は、すべての物事を、意識を中心とした見方ではなく、もっと深い観点から見ることができるようになります。