情動と理性

死を受け入れること 生と死をめぐる対話

 この辺りのお話も、興味深いな~と思いました。

 

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小堀 これは脳と関係があると思うから、養老先生にお聞きしたいのですが、八十代の男性患者で、何か外部で変化があると、「バカ、バカ」と言う人がいるんです。幸い、奥さんには言わないのですが、看護師が血圧や体温を調べようとしても「バカ」と言って測らせない。

 ところが、娘から電話がかかってくると、「元気かい?」と機嫌よく声をかける。だけど、その娘が面会に来ると、「バカ、バカ」と言う。

 僕が考えたのは、脳のどこかにその娘が、少女時代、自分が育てた三歳か四歳の頃の音声で彼の脳を刺激するところがあるのではないかと。しかも電話でないとダメなんです。

 

養老 「カプグラ症候群」というのがあって、それに罹った人は自分の母親や父親をそうではない、知らない人だと言うんです。

 ところが、電話で話すと本当の親だと言う。僕が聞いた説明では、その場合、視覚と感情、要は脳の辺縁系と結びつく経路は切れているけれど、聴覚と辺縁系の経路は切れていない。

 だから、声を聞けば、懐かしいとか、親しいとかいう感情が起こるんだけど、視覚からはそういう感情が起こらない。やっぱり、情動と論理は切っても切れないんです。

 

小堀 電話と肉声では違う。目をつぶって声を聞けば良かったのかもしれませんね。

 

養老 普通、情動と論理がつながっているとは思っていないでしょう。

 

小堀 正反対だと思っています。

 

養老 一番、それを強く言ったのは数学者の岡潔です。数学者はむしろそれに気がついていて、「情動と論理はつながっている」と言っています。普通は切り離されていると考えるのですが、理性だけを切り離すことはできない。理性だけを切り離すと、先ほどの話のように、親を親として認識できなくなってしまう。

 岡潔がずっと数学をやっていたのは、非常に強い感情に動かされていたからです。それを彼は自分で知っていたから。そこがえらいんです。・・・

 僕はずっと大学にいましたけど、「理性は理性だ」という教育は、結局間違っていたという気がするんです、この年になると。もっと素直に、人そのものを受け入れるべきだったと思います。

 ・・・忠犬ハチ公もそうでしょう。

 記憶というのは感情と結びついているんです。感情と結びつかない記憶はすぐに消えてしまう。・・・