人生の十か条

人生の十か条 (中公新書ラクレ 634)

 辻仁成さんのエッセイ。

 なんだか絶妙にちょうどいい感覚で、読んでよかったです。

 

P39

「頑張り過ぎず、とことんやらず、

 ほどほどに生きて、まっとうしたい我が人生」

 

P106

人が疲れる 十の理由

 

その一。やりたくないことをやるから

その二。無理して頑張るから

その三。我慢するから

その四。なんでも引き受けちゃうから

その五。他人と比較するから

その六。疲れさせる人間が近くにいるから

その七。なんでも信じ過ぎるから

その八。誰にでもいい顔しちゃうから

その九。成功だけを目指すから

その十。自分を大事にしないから

 ・・・

 思えば、自分と言いますけど、肉体、心、魂など、私という存在はいくつかの重要な要素で構成されております。ものといえるのは肉体だけですが、もっと言えば、精神や意思などもその概念の一部かもしれません。

 自分というのは一人ですけど、この自分はいくつかの自分で形成されているのです。肉体の中にも心臓や肺や脳や肝臓など、とても重要な部位があり、心臓のように自己の意識では動かすことができない不随意筋もあります。不随意筋には心筋のほかに、平滑筋と呼ばれる胃腸などの筋肉もあります。

 ・・・意思とは無関係に動き続けるもう一人の自分。つまり、考え方によっては、不随意筋はもう一人の私なのです。不随意筋だけに何か人間を超えた天の力を感じざるを得ません。

 ・・・私は様々な自分の部分や構成要素で形成されているわけです。ですので、私は「チーム自分」と呼ぶようになりました。・・・

 ・・・

 その後、私は晩酌をチーム自分とすることになりました。それぞれの肉体のことを思い、自分の心や精神や魂にも耳を傾けています。一丸となって自分を動かしていこう、と考える時、そこに健康が見える気がします。

 さ、今日もよく生きました。ベッドに潜り込み、まずは自分に「おつかれさま」を言います。明日もまた頑張れそうです。不随意筋たちには申し訳ないのですが、一足お先に休ませていただきます。

 

P148

 生まれてから今日まで時間に支配されないように生きてきました。

 なぜ、そう思ったのかはよく覚えてないのですけど、父親が猛烈社員、仕事の鬼で、いつも腕時計ばかり見ておりました。父親に遊んでもらった記憶のない私はなぜか時間のせいだと思い込んでいたような節があります。それで腕時計というものをしたことがなかった。受験の時でさえ、腕時計を持たないという徹底ぶりでした。

 ・・・

 ところがところが、六十年近くも腕時計をしたことのなかったこの私が、つい最近、腕時計に一目ぼれをして買ってしまったのですから、大事件。

 その日、私はふらふらと散歩をしていたのです。・・・ショーウィンドーにとある腕時計がぽつんと飾られていたのです。

 とってもシンプルな時計ですが、何か変。よくよく見ると、針が一つしかない。

 どうも短針のようですが、文字盤は十二等分されており、普通の時計と同じく十二時間を表しています。しかも一時間ごとにさらに小さく十二メモリに分かれています。一メモリが五分を表します。だから六メモリで三十分、十二メモリで六十分になるわけです。

 かなりわかりにくい、読み取りにくい腕時計でした。

 けれども、時間に支配されたくない願望の強い私にとって、この腕時計のアバウトさはまさにピンポイント。何か時間を小馬鹿にしている感じも面白い。

 説明書には「精確な機械」と記されております。笑いがこみ上げてきました。

 これならば腕に嵌めても問題ない、いや、むしろこういう時計をすることで時間を手懐けることができるのじゃないか、と思いついたのです。

 すぐに店の中に入り購入しました。お店の人に「あなたはなぜこの時計を買うのですか?」と逆に質問されてしまったのです。店側もこの時計が売れるとは思ってもいなかったようで……。

 ・・・

 アフリカのある部族は時間を持ちません。彼らはつねに永遠の今しか存在しないのです。不思議な感覚ですが、昨日も、明日も存在しない世界。・・・常に今の中で生きている人たちがいるのです。

 ・・・

 ・・・彼らは常に今の中で生きていて、過去や未来を気にすることがないのです。それはいったいどういう感覚でしょう?

 

P205

 私は息子に「おかげ様で」という気持ちを持っています。息子のおかげで今の私があるということです。

 私は老いた母親に「おかげ様で」とつぶやくことがあります。母が私を支えてくれなければ今の自分などとっくにないということをやっとこの年で悟ることができたからです。

 昔の私はもしかすると「自分自身の努力のたまものでこの成功があるのじゃないか?」と真剣にうぬぼれていたのかもしれない。・・・

 今の私は友人や家族や息子のおかげで生きていることをよく知っています。このことに気が付くことができただけでも、生きている意味がありました。これは人生の宝物に違いありません。

「あなたのおかげで自分がいま、生きることができている」という感謝の気持ちを持つこと。人間の基本なのじゃないか、と私は思っております。