脳が外へ出てる?

虫とゴリラ

 へぇ~~~と、また少し世界の見え方が変わったような気がしたお話です。

 

P135

養老 生物は「遺伝子系」と「神経系」の二つを持ってるんですね。それでね、面白いことに、両方がたまたま同じものをつくることがあるんです。一つはね、いちばんはっきりしているもので、さいきん見つかったのは、ウンカの幼虫がぴょんと跳ぶんですけど、その脚の付け根の関節が、完全に「歯車」になってます。人間がつくったあの歯車と同じです。人間の歯車は脳がつくっているんですけど、昆虫の持ってる歯車は遺伝子がつくっています。両者がまったく同じものをつくっている。

 もっと古い例を言うと、三葉虫の目ですね。三葉虫の目のレンズって、じつは「収差ぬきレンズ」なんです。二つのレンズを組み合わせている。三葉虫の場合、方解石なんですけど、二つの異なる結晶を組み合わせています。化石が割れるときれいに出てくるからわかります。複合レンズと同じなんですよ。ところがね、これをデカルトホイヘンス(オランダの物理学者・天文学者 1629~1695)が、独自に設計しているんですよ。カメラのレンズもそうですけど、これは人間の脳がつくったもの。三葉虫のレンズのほうは、遺伝子がつくるわけですよね。

 

山極 いや、不思議ですよね。そのウンカの幼虫の後脚にある歯車状の機構って、跳躍する時に両脚の動きを「同期」させているんですよね。車輪をつくったというのは、人類史上とてつもない発明だって言われているんだけど、同じ構造のものが、自然界にもあった。人間は脳を稼働させて、頭の中の世界をどんどん拡張しているように見えるけれど、やっぱり自然の摂理を超えていないってことですね。

 

養老 そうです。自然のベースが完全に入ってるんですよ。数学なんかも、人間が頭で考えてると思ってるんだけど、たぶんそうじゃなくて、例えば、脳みそを調べてるといちばんよくわかるのは、「脳みそ自体が外へ出てる」っていう例がいくつかあるんですよ。そのいちばんの典型がね、「ピアノ」なんですね。ピアノっていう楽器は「経験的に」つくれないと思うんです。ピアノの筐体はつくれますけどね。

 

山極 弦楽器ですか。

 

養老 弦楽器は、経験的につくれますよね。弦が一本あって、ピンと張ったら音が高くなる。太くしたら音が低くなる。いろいろあるでしょう。そこに、箱をつけたら共鳴して、音量が上がる。ピアノはわからないですね。なんでいきなり、あれができてくるのか。

 ・・・

 しかもですよ、鍵盤が全部、等距離にきれいに並んでいるじゃないですか。あんなものを弾くことを考えるんだったら、小指で弾くほうは少し大きくするとか、なんかいろいろ変えてもいいはずでしょう。それをあんなふうに、きれいに同じにして配置しているんです。

 ・・・

 あれってね、一次聴覚中枢の「神経細胞の並び方」と同じなんですよ。つまり、出してる音が、いわば音の対数をきれいに取って並べてるんです。だから、極端に言えば、十の一乗、二乗、三乗、四乗とすると、それを一、二、三、四と同じ距離で並べている。なんと、聴覚の一次中枢の神経細胞を並べたら、そのままピアノなんですよ。

 

山極 へえー、数学的原理に基づいてつくられている。

 

養老 ようするに、対数そのものが「耳」から来ているんだと思います。そういう並び方。もちろん、人間は意識してないんだけど、直線がそうですよね。直線って存在しないでしょう、自然界には。あれは、人間が考えた理想のようなもので、じつは、点を集めて直線にしているんですよね。ユークリッドの公理です。だけど、「一しかないものを、いくら集めたって線にならねえじゃないか」って思ったことないですか。

 

山極 そう、そう、そう。

 

養老 もう、公理を最初に習った時に、そこがどうしても納得いかない。あれ、何かっていうと、じつは網膜がやってることなんです。網膜って全部、「点」でしょう。点というのは、真ん中が黒くて周りが白いか、真ん中が白くて、周りが黒いかどっちかなんですね。その網膜から、次の中枢に信号が送られる時に、次の中枢で何をするかっていうと、その点を次の中枢でつなぐんです。それはもう、ヒューベル(アメリカの神経生理学者 1926~2013)以前の仕事で証明されてます。なんだ、人間は、こうやって直線をつくっているんだよって。だから、直線は「頭の中だけに」あるんですよ。

 

山極 なるほど、なるほど。その数学の話でいったって、一と二の間には無限の可能性があるわけでしょう。それを直線というイメージでもって、一から十までつないでいるんですね。網膜と脳はそれを、一、二、三、四、五って、点からつくっている。非常に不自然な話であるはずなんだけど。

 

養老 神経細胞がそれをやってるんですよ。

 

山極 神経細胞が命じてるのか。

 

養老 というか、神経細胞がやっていることを、意識がなぜか知らないけれども、取り出すことができるので、それが「数学」です。