「私」とは?

たけしの面白科学者図鑑 人間が一番の神秘だ! (新潮文庫)

 こちらはアンドロイドの達人、石黒浩さんとのお話です。

 

P118

たけし これまで石黒先生は自分に似せたアンドロイドや、女性のアンドロイドをつくっていますよね。制作過程では自分の外部の写真を撮るだけではなくて、骨格などを調べるために自らのMRIも撮影する。モデルになった女性が、究極の裸であるはずのMRIの画像を見せられても恥ずかしくなかったとか。人間の体の認識という点で、そういう感覚って面白いなと思ったんです。

 

石黒 僕は自分のMRIを撮影されて、自分の脳みそを最初に見たときに、自分のものだと信じられなかった。人間って、ひたすら「自分とは何か」を知ろうとしているセンサーの固まりのようなものだけど、自分の内側は見ることができない。だから、他人からの反応で、自分が何ものであるかを知るしかないんです。だから人と関わらないと、自分を知るなんてことはできない。引きこもっている人は、やっぱり人間に対して随分と違う感覚を持っているような気がするんです。

 

たけし おいらも、人間はいつも外に対してレーザーを出しているみたいなものだと思う。レーザーの反応が返ってきて、「自分はそういうふうに認識されているのか」とわかる。・・・

 

石黒 そういうことが生きる意味というか、働く意味ではないかと思うんです。前にテレビでたけしさんが、「お金をたくさん持っていても、働かなくなる人と働き続ける人がいる。自分は働き続けるんだ」と言われたことがあった。そのときに、要するに「人と関わり続けなければ、人間は生きている意味がないんだろうな」と思いました。

 

たけし 画家のゴーギャンじゃないけれど、「我々はどこから来たのか。我々は何者なのか。我々はどこへ行くのか」を問い詰めていくのが、生きていく意味なのかも。

 

石黒 だから、こういう研究をしていると、人とは何か、自分とは何かということが、今までとは違う視点で分かってくるんです。演出家の平田オリザさんと一緒に、アンドロイドを使って「アンドロイド演劇」を製作したんですね。生身の女優とアンドロイドが演じあう。オリザさんのところの劇団員の女性が、芝居に登場するアンドロイドをコントロールしていました。あるとき、アンドロイドのモデルになった女性と、操作している女性を会わせたんです。そのとき、操作者の女性が最初に言ったのが、「目の前に私がいる」と言うんです。ずうっと演劇でアンドロイドを操作していたので、その姿形を「私の体」だと思っている。

 

たけし 人間にとって自分の体とは何なのかと考える際に、興味深い話ですね。

 

石黒 だから、人間は自分の体というのも、実のところよくわかっていないんじゃないかと思うんです。自分の手がちょん切られて、それがころころと転がっていたら、自分の体と感じられるものなのかどうか。逆に機械の手をつけても、それが自分の思いどおりに動けば、自分の手だと思うようになる。人間って、自分という存在も分からなければ、自分の体も何だか分からない。でも、自分の思いどおり動いていると思えるものは自分のものだと思う。

 ・・・

たけし ワイドショーで、おいらのアンドロイドを司会にして、好き勝手なことを喋りたいね。批判されても、「アンドロイドが言っただけですから」って。アンドロイドだったら、言いたいことが言える(笑)。

 

石黒 実際、そうなんですよ。アンドロイドを通して話す方が、言いたいことが言いやすいです。それと、直接その人に話すのではなくて、アンドロイドに話した方が、話す方も話しやすい。僕はよく顔つきが怖がられるんです。それで、取材を受けるときに、忙しいとアンドロイドを使う。いつもは僕は大阪にいて、アンドロイドは奈良にいるんですけど、奈良まで行くのが面倒なときは、アンドロイドで取材に答える。そうすると、記者の人も、いつもよりいろいろと聞いてくれるんです。講義でもアンドロイドでやったほうが、学生がいっぱい質問するんですよ。それで後日、その記者の人に直接会って話をすると、僕を見てすごく緊張している。「生はきついです」とか言われて(笑)。

 

たけし 生はきついか(笑)。

 

石黒 逆にジェミノイドFのモデルの子は、人見知りする人なんですけれども、アンドロイドに乗り移ると、何でも喋れると言います。

 

たけし そうした気持ちは何となく分かりますね。