明日、機械がヒトになる

明日、機械がヒトになる ルポ最新科学 (講談社現代新書)

 現実、リアリティってなんだろう?ということに関心があるので、とても興味深く読みました。

 

P4

 普段は小説を書いているぼくが、今回なぜ科学ルポをやろうと思ったのか。理由は簡単で、テクノロジーがぼくたちの想像力を超えはじめている、その現場を見たいからです。

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 かつてのテクノロジーは、人間が一方的に使うものだった。けれど、これからは人間がテクノロジーに使われることも問題になってくるでしょう。

 そんななかでぼくは、ふと、

「今、この世界では、人間(生物)が機械化し、機械が人間(生物)化しているのではないか?」

 そう思いました。

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 そもそも、人間の定義とはなんでしょうか。

 たとえばこれまでは、言葉を交わし、意思や心を持ち、生殖活動によって増え、芸術をつくり出す、そうしたことが人間であるとされてきましたが、それらすべてのことが機械にもできるとしたら?

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 こうした疑問からぼくは取材の旅をはじめました。

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 無菌室にも似た白い部屋。

 一脚の赤い椅子に座っているぼくの前に、学生風のラフな普段着の研究チームメンバーが、黒光りするヘルメットを手にして現れました。「エイリアンヘッド」と呼ばれるそのヘルメットは、文字通り映画に登場した「エイリアン」の頭によく似た形で、・・・内部にあるモニタに外の様子が映しだされ、耳元のスピーカーからメンバーの声が聞こえました。

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「では、ちょっとまわりを見てください」

 目の前に立っているチームリーダーの藤井直敬さんからそう言われ、上下左右に首を動かしてみます。

「はいけっこうです。ところで私はここにいると思いますか?」

「はい」

「じゃあ握手しましょう」

 差し伸べられた手をにぎろうと伸ばしたぼくの右手が、文字通り空をつかみました。

 あれ?

「今ここにいる、この私は1年前の私です」

 そう言うと目の前にいた藤井さんは消え、部屋の入口から藤井さんがまた現れます。

「どこで過去の映像データとすりかわっていたのか、わかりましたか」

「いえ……わかりませんでした」

「今ここにいる私が、本物か偽物かわかりますか」

「……どっちも偽物、というトリックですか?」

 藤井さんがまた手を伸ばし、それに触れると―今度は感触があります。

 これは現実……いや、虚構だろうか……?

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 リアリティとは一体なんだろう。

 実験室を出てミーティングルームに入ったぼくは、椅子に座って、外の景色を見ながら思わず考え込んでしまいました。今見えている現実は、ただ解像度が高いだけで、さっきSRの空間で見たものと「リアリティ」自体は変わらない。SRで騙されているのは単に視覚だけだった。なのになぜ、あんな妙なことが起きるのでしょうか。部屋に入ってきた藤井さんに、早速そのことを聞いてみました。

―SRシステムで人が騙されるというのは、つまり人間は視覚メインで現実を認識しているということなんでしょうか?

藤井直敬(以下、藤井)そう言ってしまってOKじゃないんですかね。アンドロイドをつくっている石黒浩さんとも話しているんですが、視覚を騙すだけでかなりのことができる、というのが私たちの共通理解です。

―なるほど……。ところで、さきほどSRシステムを体験して、ぼくがまず感じたのは、「あ、これ知っている」という既視感だったんです。一体なにと似ているのか考えていたんですが、思い出しました。瞑想や明晰夢、ある種のドラッグ体験でも得られる―いわゆる変性意識状態の感覚とSRシステムで得られる感覚が、少し似ているんです。

 ・・・

藤井 仏教に詳しい方にSRシステムを体験してもらったことがありますが、「これはたしかに悟りの第一段階に似てる」と言っていました。「仏教の悟りにはSRと違って次のフェーズがあるんだけどね」とも言っていましたが(笑)。

―ええっ!それはすごい意見……。

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―ネットでちょっとSRについて調べてみたところ、これを使って幽体離脱ができる、という情報があったんですが……本当ですか?

藤井 幽体離脱はSRシステムを使えば簡単にできます。さっき見てもらった映像は、カメラで過去に撮った同じ視点からの映像だったんだけど、カメラをそのへんに置いてそのライブ映像を見せると、自分がそっちに行って自由に見渡せるので自分の視点がそっちに移っちゃうんですよね。

―視点が移る、ってどういうことなんですか?

藤井 自分の身体は元の場所にあるけど、視点からは自分が見えるから、分離しちゃうんですよ。カメラの位置を何ヵ所かに動かしていくと、自分ではない別のところに自分の視点が持っていかれたまんまになっちゃって、それをずっと繰り返していると、部屋に自分が充満したような気になってしまう。神っぽい視点になってしまうんです。

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 ・・・SRで自分自身を見る場合はいろいろな場所にカメラを動かして、異なる視点から自分自身を見る。それが自己の空間位置をあいまいにして錯覚を起こす要因になっている。人はまず、見えているものが自分か、自分以外かということを判断するので、動かしている身体感覚が〝ここ〟にあるのに、見えているものの遅れが大きい場合、「あれは俺じゃない」と判断してしまう。身体感覚と脳の認識を同期できないんです。

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 これは脳科学の本でよく書かれていることですが、人間は普段、そのままの現実ではなく、自分のなかのデータを見ているだけらしいのです。

 たとえば風景を見るとき、それが初めて見るものの場合はデータのインプットに時間がかかりますが、2度目は以前のデータを読み込むので、認識が早くなります。

 つまりほとんどの場合、ぼくたちは以前読み込んだ脳内データを見ているということになるのです。そうすると、人間は自分がつくり出した幻想のなかに、自ら生きていると言えるかもしれません。