あなたを選んでくれるもの

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 おもしろい本を読みました。

 訳者あとがきに、内容がわかりやすく紹介されていました。

 

P239

 短編集『いちばんここに似合う人』から四年、待ち望まれたミランダ・ジュライの二つめの著作は意外にもノンフィクション、それもフォト・ドキュメンタリーだった。彼女が見ず知らずの一般の人々の家に出かけていって話を聞いた、インタビュー集だ。

 自ら脚本・監督・主役をつとめた長編デビュー作『君とボクの虹色の世界』が大きな評判を呼び、カンヌ映画祭でカメラ・ドールほか四つの賞をとってから四年後の二〇〇九年、ジュライは二作めの映画の脚本が書けずにもがき苦しんでいた。何度書き直しても正解が見えず、あまりの苦しさに書くことから逃げて、ネットにおぼれる日々だった。

 そんな彼女のささやかな楽しみが、毎週火曜日にジャンクメールに混じって郵便受けに届く『ペニーセイバー』だった。アメリカの主要な都市で無料配布されている粗悪なザラ紙の小冊子で、中にはいろいろな人の「売ります」広告がずらりと並んでいる。イーベイなどのネット取り引きに押されて今や絶滅寸前のこの媒体を、彼女は執筆の息抜きに隅から隅まで熟読する。そのうちに、それらの広告の背後にいる人々のことが気になりだす。いったいどんな人たちなのだろう。どんなふうに暮らし、何を夢見、何を恐れているのだろう。ついに好奇心を押さえきれなくなった彼女は、黒の大きな革ジャケットを十ドルで売りに出している人物に電話をかける。そして彼の家で話を聞かせてもらえないかと申し出る。

 これが彼女の〝ミッション〟―『ペニーセイバー』に広告を載せている人たちに片端から電話をかけ、インタビューさせてくださいと頼む―の幕開けとなった。たいていは即座に断られたが、ごくたまにOKしてくれる人がいると、カメラマンとアシスタントを伴い、ロサンジェルスのどんな辺鄙なところへでも車で出かけていった。

 そのようにして彼女はじつにさまざまな人たちと出会うことになる。家の庭でウシガエルのおたまじゃくしを育てている高校生男子。ガレージセールで赤の他人の写真アルバムを買い漁るギリシャ移民の主婦。いろんな珍獣を育てて家の中が動物園化している女。足首にGPSをつけられた、子供向けの本を売る男……。

 一つ一つの出会いは彼女に衝撃をもたらす。その衝撃とは、バーチャルではない生の人間、つまりは「現実」に触れた衝撃だった。『ペニーセイバー』に広告を出す彼らは、パソコンをもたない人々だった。ほとんどネットの世界に住んでいた彼女にとって、検索でもSNSでもたどり着くことのできない彼らは、本来なら出会うことのない人々、存在しない人たちだった。<いま、わたしの目の前に本物がある>―一番めの革ジャケットの男性に会ったとき、彼女はそう思う。<革の表面に触れた瞬間、目まいのような感覚に襲われた。現実のものと触れあったときに、たまにこの現象が起きる。デジャヴに似ているけれど、前にも一度これを経験したという感覚ではなく、今はじめてこれを経験しているんだ、それまでのことはぜんぶ頭の中のことだったんだ、という思いに打たれるのだ>。インドの衣装を一枚五ドルで売るインド人女性と会ったときには、現実世界は「ズシン」という衝撃波となって彼女を襲う。<それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な現実世界に取って代わられる音だった。一人ひとりの人間を、その人たちの物語バージョンとすり替えてしまわないよう、わたしはつねに自分を見張っていなければならない>。

 かくして彼女のミッションは、ネットの世界から出て、現実の手触りを取り戻すための旅になる。彼女と写真家のブリジットとアシスタントのアルフレッドが隊列を組んで、ロサンジェルスの見知らぬエリアをあちこちさまよう姿は、まさにRPGの冒険の旅のようだ。フィクションの王国を出て、リアルの賢者たちの話を聞くために。それが八方塞がりの今の状況を打破してくれるかもしれないという直観に導かれて。

 次から次へ見知らぬ人と会いつづけるうちに、停滞していた映画も少しずつ前進を見せはじめる。本書はインタビュー集であると同時に、一つの映画が紆余曲折の末に完成するまでのドキュメンタリーでもある。映画からの逃避のつもりで始めたミッションが、いつしか映画を動かすための原動力になり、やがて二本の縄を縒りあわせるように、二つの活動は一つに収束していく。そして冒険の旅の最後に、現実世界は彼女に思いがけないプレゼントをする。独特老人・ジョーとの出会いだ。彼の強烈なキャラクターに打たれたジュライは急遽シナリオを書き変え、ジョーを本人役で映画に登場させる。そしてジョーは、まるで最初から彼のために書かれた映画ででもあるかのように、すばらしい名演を見せる。

 そこから先の撮影そして映画の完成までの展開は、それこそまるで映画を観ているようで、息もつかせない。そして最後の最後に待ち受けているさらなるドラマには、まったく現実ってやつは……と、目頭が熱くなるのを抑えることができない。

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 最後に補足をいくつか。

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 ・・・一四年八月には、スマートフォン用のアプリSomebodyを発表した。これは一種のメッセージ送信アプリなのだが、たとえばユーザーAさんが知り合いのBさんにメッセージを送信すると、そのメッセージは直接Bさんには届けられず、Bさんの居場所のいちばん近くにいる別のユーザーCさんに届けられる。Cさんはアプリに表示された顔写真と名前を手掛かりにBさんを探しだし、Aさんの代わりに口頭でメッセージを伝える(送り手は「泣きながら」とか「ひざまずいて」とか「ハグする」なども指定できる)。・・・出会うはずのなかった人どうしがテクノロジーを通じてつながる・・・一種のアートであるが、「見知らぬ他人どうしがつながる」というコンセプトは、彼女が小説でも映画でも、また本書でもくりかえし追求してきたテーマであり、じつにミランダ・ジュライらしいと言える。・・・