掘り出し物の骨董品を仕入れに、インド、ネパール、スリランカ、タイ、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、ラオス、パキスタン、イエメン…を訪れた著者の旅。
冒険小説のようで、面白かったです。
一部抜くのは難しくて、すごく長くなっちゃいましたが(;^_^A、世界は広いな~と思ったユニークな人が登場したところを書きとめておきます。
P72
まだ殆ど扉の開いていないコロンボの貴重な仕入れ情報を摑んだ。ついでに店主は現地の知合いを紹介してくれた。
「変わった奴だが結構情報は持ってるよ」
「変わってるって?」
・・・
「うん、コックローチ(ゴキブリ)のジョーと渾名されるほど、どこにでも顔を突っ込む奴なんだ。それに信じられないほどの恐妻家なのさ。クククッ」
「おかしな癖でもあるの?」
「顔も仕草もコックローチみたいだが結構純情なんだ。それに奥さんに何もかも吸い取られているんだよ」隣にいた女店員も含み笑いをした。
・・・
・・・ターミナル出口に二十人ほどの出迎えの人々が固まっている。
「あっ!コックローチのジョーさんだ!」と一目で分かる人がいた。好奇心に満ちたまん丸な目、疑い深そうな口元、渋革色の油っぽい顔は痩せていて、昆虫的な雰囲気を持っていた。
・・・
コックローチさんの触角がアジャンタの仏頭、重厚な銀の装飾をしたムガールの短剣、珍しい芭蕉葉に手彫りした仏典を掘り出した。それにしてもコロンボの骨董はほとんどがインドのものだった。
値段交渉になると華奢な感じのコックローチさんなのに何処からそんな迫力が出るのかと思うほどのやり取りをした、彼と店主は買主の僕を蚊帳の外におっぽり出したまま摑み合いせんばかりの剣幕だった。
・・・
ネゴの結果は三点まとめて二千ドルだった。・・・
これがうまく売れれば二万ドルはいけると思った。古い芭蕉葉の仏典はひょっとするととんでもない掘り出し物のような気がする。・・・
・・・
僕の経験では骨董屋も色々あって、ガラスやアクセサリーっぽいものを扱うのはやや女性的な人が多い。書画などを扱う人は理屈っぽく、客にでも説教をたれる。この店のように武器を取り扱う奴は子供っぽくてドンドン行くと前後の見境がなくなってしまう。
ここの親父は分銅を投げると本気で来るタイプと見た。僕と親父の間に殺気が走った。その時「ノリキ、コレ!コレ!」と言ってコックローチさんが円筒形の壺をどこからか持ってきた。側面にブルーと黄色で草花の大きな絵が描かれていた。
「あっ!いける」と思ったが声には出さなかった。髭の店主に聞かれて吹っかけられても困るし、コックローチさんにコミッションをぼられても断りきれないので「いいね」とだけ言った。
二人には分かる筈もないが、茶の湯の数寄者が珍重する十七世紀頃のオランダ、デルフト製の煙草葉水指であった。江戸初期の大名茶人小堀遠州も収集にひと苦労したほどの作品だ。うまく古い箱を合わせ、昔から伝わったものだとでも言えばかなりの値段になる。彼に交渉を任せ、「そんなひょろひょろデザインの不細工な壺はいらんなあ」と店主に言ったり、「コックローチさんもういいよ」と冷やしまくったりした。子供っぽい口髭の店主は武器を持った時とは違って、そのたびに小さくなり五百ドルと言っていた壺が百ドルになった。壺を抱えて車に戻る途中コックローチさんが僕の顔を覗き込んだ。
「ノリキ、南蛮煙草葉水指、いい買い物でしたね」とものすごくうまい日本語で言ったのだ。
「エエッ!あんた日本語わかるの?」
「ハイ、一九七X年京都大学を卒業しました」僕はびっくりした。・・・
・・・
「コックローチさん、あんたやるね。どうしてあんなにいろんな品が引っ張り出せるの?」と持ち上げた。
「ノリキ、先程の武器の店、あなた鎖鎌や大砲見てたでしょ。専門だからいい物があるけれど高い。私はあの店では陶器と石だけを集中して探しました。そうすれば目の中に欲しいものが飛び込んできますよ」と言ってまた油っぽい顔をつるりと撫ぜた。・・・
車に戻ると運転手とよく太った女性が立ち話をしていた。それを見たコックローチさんは僕の後にスーッと隠れてしまった。・・・
「あれ、どうしたの」と言う間もなく女性が小走りで僕の所に来た。・・・僕に、にっこり微笑んでから後にいるコックローチさんにキツイ調子で言った。
「あなた!患者さんの陣痛が始まったわよ」と言って彼の腕をがっしりと摑んだ。
・・・
「コックローチさん、あなたドクターだったの?」
「そうです。産婦人科医です。でも骨董の方が楽しいね。リタイアしたらやるつもりです」といって手を振った。
コックローチさんはタクシーの横に止めてあった、でかいベンツに引きずり込まれてしまった。
別れ際、窓から手を入れ彼に五百ドルを渡した。そしたら奥さんがにっこり笑って彼から取り上げてしまった。
「サンキュー、主人にはお金を持たせないことにしていますの。ガラクタばかり買って来ますから、ホホホホホホホホホ」
・・・
後日カトマンズに立ち寄り例の骨董屋に入った。若い店主が「噂だがコックローチさんが医者を辞めて念願の骨董屋を開業した」と言うのだ。博物館のキュレーターを凌ぐ彼の博識が、奥さんの心を動かし許してもらえたということだった。骨董の買い付けはいつも二人でやるらしいが、リーダーシップは相変わらず奥さんが握っているそうだ。