縁の仕組み

大好きな町に用がある (SWITCH LIBRARY)

 「縁と旅と人生の仕組み」というお話も、印象に残りました。

 

P120

 ツアー旅行ではない、予定を決めない長旅をしたのは一九九一年、二十四歳のときだ。一カ月半のタイの旅、これがきっかけで私は旅に取り憑かれることになる。そのきっかけの旅なので、もうさんざん、いろんなところにこの旅については書いている。でもまた書く。書かずにはいられないできごとが起こったのである。

 ・・・サムイ島を経由してからタオ島に渡った。タオ島は、当時はガイドブックにも出ていないくらいちいさな島で、・・・

 このタオ島で、一組の日本人夫婦に会った。世界一周をしているバックパッカー夫婦で、・・・私たちは気が合って、毎日のように遊んで日を過ごした。

 ある夜、みんなで遠くのバンガローまで食事をしにいって、懐中電灯を片手に帰ってきた。その道の途中、枝を広げた大木に無数の蛍がとまっているのを見た。・・・夢を見ているみたいだった。いや、夢というよりも、何か見てはいけないものを見ているような気すらした。うつくしい、という言葉を超えた光景だった。

 この夫婦と住所は交換したものの、旅後、一度手紙をやりとりしただけで連絡は途絶えた。

 が、ひょんなことから私はこの夫婦が札幌でスープカレーの店を営んでいることを知り、その店宛てにメールを書いた。もしやあなたはあのときの……、というメールである。そしてそのカレー屋さんはタオ島で数日過ごした夫婦だということが判明した。これが、今から十一年前、二〇〇五年のことである。・・・

 それからまたしても時間がたった。・・・札幌にいくことがあったらぜったいにあのご夫婦に会ってスープカレーを食べるのだと決めているのに、そんな機会がなかなかない。

 この五月に、新聞社主催のトークイベントに招いてもらった。会場は札幌である。札幌にいけるとわかった時点で私は夫婦にメールを書いた。ついに札幌にいくことができます!

 ・・・

 タオ島の旅から二十五年がたっている。・・・だから、夫婦の顔もじつはよく覚えていないのである。ただただ、たのしかった時間の記憶だけがある。

 そのお店を見つけ、コクがあっておいしいカレーを食べていると、まずあらわれたのは奥さんのほう、顔を覚えていないのに、対面したらすぐにわかった。次にあらわれた旦那さんも、やっぱりすぐわかった。覚えているのは顔ではなくて、その人の奥にある何かなんだなあとしみじみ思った。

 やはりまず話に出るのは、旅のことだ。・・・蛍ツリーを見たよね、と旦那さんが言い、見た見たと言いながら、夢じゃなかった、と思う。もしあれをひとりで見ていたら、二十五年の歳月のうちに、まぼろしに分類したように思う。もしくは誇張。・・・でも、違った。いっしょに見た人がいるってすごいと、素直に感動した。

 縁とはいったいなんだろうと考える。今まで数えきれないくらいの旅をしてきて、会った人はたくさんいる。・・・けれども、再会することはめったにない。・・・

 二十四歳の私ははじめて自分の脚と頭を使って旅をしていた。電気のないその島は当時の私にとってとくべつな天国みたいだった。・・・

 ・・・

 そして私は自分のこの先について、明確なビジョンがなかった。そのビジョンとは、どんな仕事をしてどんな家に住んで、といったようなことではない。もっとたましいに近いこと。・・・それが、あの島でくっきりとしたビジョンを得たのだ。島に滞在しているときは、もちろんそんなことは考えなかった。帰ってきて、何年もたって、ふと実感するのである。今の私が信じようとしているもの、目指そうとしているもの、その根っこの土台は、あの島で培ったものだ。・・・

 タオ島滞在を最後に、世界一周旅行を終えて地元に帰っていった夫婦にとっても、似たような内的体験があったのではないかと私は想像する。私たちは同じ場所で、同じように、人生にかかわる何か重要なことを、知らず知らず決定していたのではないか。・・・そう考えると、私たちが再会したりする、不思議な縁の仕組みもなんとなくわかるような気がするのである。