猫背の目線

猫背の目線 (日経プレミアシリーズ)

 横尾忠則さんのエッセイ、とても興味深く読みました。

 

P45

 ・・・過去四人の占い師から「あなたの寿命は五十歳未満である」と宣告されていた・・・四人の占い師から口を揃えて同じことを言われてごらんなさい、・・・「気にするな」と言う方がおかしいでしょう。・・・今になって思えばこの寿命宣告はぼくにとっては神託であったかのように感謝している。・・・五十歳と決めた人生を如何に充実させるかということに無意識ながら心を砕いてきたことがかえってよかったのである。

 ところが不思議なもので寿命を五十歳と思い続けていたにもかかわらず、後で思い出すことは五十歳に近づくにつれて頭の中から寿命のことは完全に忘却させられていたことだった。意識的にそうしたのではなく、後で気が付くとあんなに気にしていたこのことが四、五年すっかり意識から消えてしまっていたのである。誰がそうさせたのか知らないけれど結果はこのコンプレックスが頭の中からスコーンと抜け落ちていたのだった。

 このことに気付いたのは五十歳をかなり過ぎた頃、イギリスで占いを学んだという運命研究家に雑誌の仕事でみてもらった時だった。この人は科学的判断と同時に心霊能力の持ち主でぼくの手からぼくの運命的情報を汲み取ることができるのである。その結果は「本来の寿命は四十九歳で終わっていますが、この頃に大きい変化があって別の生命体がかかわったために延命されました」と言われ、心当たりがあるはずだと言われた。ここでは詳しく述べないが確かに心当たりはあった。

 

P57

 バルザックは「人生の目的は休息である」と言う。こんなものを目的にする人間はよほど忙しいのか、物凄い怠け者かのどちらかだと思われるかも知れない。彼は小説家だからもう少し高潔な、例えば人生の目的は己の魂を向上させることだと言えばナルホドとさすがバルザック先生だと納得するのに、「休息」だって。笑っちゃうか狐につままれたようにポカンとした顔になりかねない。

 しかし考えてみれば実に蘊蓄のある目的であることがジワジワ伝わってくるではないか。バルザックは生活自体に優雅を求めている人間である。芸術家の優雅とはお金持の考える優雅とはかなりかけ離れていると考えた方がいい。彼は「芸術家にとっては閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則に従うことを拒絶し、自らが自らのための規則に生きることを本懐としているのである。世の中の潮流や流行は意に介さず、無頓着でいなければならない。社会や他人の支配に従うのではなく、その時の気分(そう、この気分が大事である)に従うのを第一義にしなければならない。バルザックも「芸術家は自分の好きなように……またはやれるように生きる」と語っている。

「人生の目的は休息にある」というバルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は万人に通じる。先に彼は「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが芸術家は何もしないでボーッとしている瞬間にも作品の構想を頭の中で練っているのである。・・・

 芸術家は「休む時がないですね」と言われそうだが、確かにそうだ。でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいるのである。考えているようで考えていない状態、つまり三昧世界に入っているのである。バルザックが「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言うところはさすがである。

 つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベストの状態だからである。またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのではないだろうか。・・・

 ・・・

「休息」の背景には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さではなく、自由に心の向くままに生きることこそ優雅な人生の目的であるということを「休息」を通して学び直す必要があるとぼくは思うのである。