ラグビーをめぐる・・・

こどもは古くならない。

 印象に残ったことばです。

 

P82

 なによりもまず、「やさしく」からはじまる。

 他の人が「愛」と呼んでいるのと同じようなことだ。

 そして、「つよく」がそれを支える。

「よわさ」のままで、ほんとうになにかするのは、

 ちょっと難しすぎるだろう。

 約束は、つよくないとなかなか守れない。

 そして「おもしろく」は、最後にくるのだけれど、

 腹の皮がよじれるほど笑う、というようなことではない。

 ふつうにしていて、しかも「おもしろい」のがいい。

 

P146

 戦いというと、他の考えもなく、

「敵を憎む」ということになってしまうのは、

 かなり遅れた思考なんだろうなぁと思う。

 

「敵」と決めたとたんに、もう、

「だから憎むべきである」と決めてしまい、

「敵にはなにをしてもいい」となってしまうこと。

 ここから、抜け出すような考えを、

 ぼくらはたしかに、あんまり教わらないできた。

 

 もしかしたら、いずれ、人間の社会が、

 もっとましなものになっていたとしたら、

 まず、「敵」は憎むものとはかぎらないということが、

 わりと常識のようになっているかもしれない。

 いま言うと、甘っちょろい非常識かもしれないけれど、

 少なくとも「そういうことはあるよ」くらいのことは、

 人がふつうに考える時代はくるような気がしている。

 

 いま、ラグビーワールドカップの試合が、

 あんなにもおもしろく感じられているひとつの理由は、

「敵」は憎む相手ではないということが、

 試合から、よく伝わってくるからだと思うのだ。

 社会をそのまま反映させたスポーツではなくても、

「人のひとつの理想」を見せ合う競技なのだとは思う。

 

P152

 人間って、なにかが上達したり、

 それをたやすくできるようになると、

 うまくできなかったときのことを忘れちゃうものだから、

 後から入ってくる人の気持ちがわからなくなるんだよね。

 それで、初心者をちょっと下に見たり、

 仲間に入れないように壁をつくったりするものなんだ。

 だから、「初心者とか新米とかが居心地のいい場所」を

 つくったらうまくいくんじゃないかと思ったんだ。

 それで、ラグビーの世界に、「ニワカ」のファンが

 堂々といられる環境をつくろうよ、と言ったんだよね。

「NIWAKA DE GOMEN」のTシャツとかつくったのも、

 そういうつもりがあったんだ。

 

 で、今回は、それがいい感じでうまくいった気がする。

「ニワカが増えていやだねぇ」とか聞こえてこないもの。

「ニワカを、感謝して歓迎する」という迎え側と、

「ニワカですけど、すいません」という謙遜の参入側の、

 双方に「敬意」があったので、うまくいったのだと思う。

 

 生まれたとたんに詳しい人なんて、ひとりもいない。

 赤ん坊の産声は、「ニワカです、よろしく」の挨拶だよね。

 

P155

 この世界的な大会のために、

 遠く近くの外国からたくさんの旅行者が訪れた。

「おじぎ」や「国家を歌ってくれる応援」、

「さまざまな日本の料理」「散髪」「シャワートイレ」

「治安のよさ」などなどを、おぼえていってくれた。

 こういうことも、たいした交流だったと思うんだよね。

 しかも、大きな都市の人びとだけではなくて、

 東北の釜石を含む全国12会場で、人と人が出会った。

 みんなが言ってるような普通のことを言ってるけれど、

 こころからそう思っているのだからしょうがない。

「いい交流」をすることは、力や金だけじゃできない。

 人が、人とふれあったり助けあったり、

 ときには闘いあったりして編んでいくものなんだよね。

 そういうことが、「あるんだよなぁ」と、

 感じられただけでもとても豊かなものが蓄えられたよ。