やさしいことば

こどもは古くならない。

 

 なんだかやさしいなぁと感じました。

 

P162

 矢沢永吉の特徴的なことばのなかで、

 昔からぼくが気になっていたのは、

「金の金じゃないのよ」ということばだった。

 つまり、いわゆる「金(かね)」についてくる意味とは、

 もっとちがう「金(かね)」のことを俺は言ってるんだ、

 ということを表現することばだった。

 ・・・

 矢沢永吉は、いまじゃなくて、若くてギラギラして

「金がほしい」と言ってる時代から、

「金の金じゃないのよ」とずっと言っていた。

 金ばかりではなく、愛だとか、やさしさだとか、

 絆だとか、正しさだとか、ひとつだけの意味で

 ぶんぶん振り回せることばが世にはあふれているけどさ。

 愛の愛じゃないのよ、やさしさのやさしさじゃないのよ。

 

P196

 近くにいる赤ん坊が、

 最初に話すことばはなんだろうとたのしみにしていた。

 ものを渡すときの「どーじょ」だった。

 パパでもママでもなく、うまうまでもなく、「どーじょ」。

 おじいさんは、いいなーと思った。

 

P232

「〇〇をしようと思うのだけれど、やる気になれない」

 という人は、「しようと思ったのならしているはず」だ。

「やる気」だの「やらない気」だの関係ない。

 しようと思ったときにしていれば、なんの問題もない。

 実は、「しようと思ってなかった」のである。

 このことは、じぶん様に教えてやりたい真実である。

 お役に立つと思うなら、あなた様にもお分けしてやろう。

 

P238

 負けず嫌いのひどい人のことを、ぼくは笑う。

 もうちょっと、その、いいじゃないかそのままでと、

 なぐさめるように、いさめるように笑いながら言う。

 でも、ぼくにも、そういうところはある。

 ないとは言えない。

 

 嫉妬深い人を見つけてしまって、つらくなる。

 それは、相手ばかりでなくじぶんをも苦しくすると。

 あわれむように、あきれるように思いながら黙る。

 でも、ぼくにも、そういうところはある。

 ないわけじゃない。

 

 なんでも信じる人がいたりすると、まさかと思う。

 そんなことで、よくご無事にやってこられたものだと。

 うらやましがったりもするし、首を傾げてしまう。

 でも、ぼくにも、そういうところはある。

 ないわけじゃない。

 

 つまらないところでケチな人に、ちょっと顔をしかめる。

 それは、だれにもよろこばれないことだぜといらつく。

 考えが足りないのではないかと、ちょっと見下す。

 でも、ぼくにも、そういうところはある。

 ないわけじゃない。

 

 負けず嫌いで、嫉妬深くて、騙されやすくて、ケチ。

 そういうところが、ないわけじゃないし、

 なくて済むなら、ないほうがいいなぁとも思っている。

 

 ないほうがいいなぁと思うことを、

 ないようにならないものかと、こらえることを、

「やせがまん」というのではないだろうか。

 少しずつ「やせがまん」を練習していくと、

 それなりに、もうすこしじぶんを好きになれる。

 何十年もかかって、数ミリずつなのかもしれないけど。