支援のAI

オードリー・タン 自由への手紙

 この辺りも印象に残りました。

 

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 権威を持つのは組織や人だけではありません。テクノロジーもまた、権威をもち、私たちの自由を損なう場合があります。

 そこで私は二つ折りの電話を使っています。〝ガラケー〟に見えますが、スネークのようなゲームもできるし、検索もできるし、自分好みのアプリを入れることもできるし、プログラミングも可能。

 ただし、オープンソースフリーソフトウェアで稼働しているので、誰かに与えられたコンフィギュレーション(設定)ではない。自分で自由に設定できるものです。

 私の電話にできないことは、指でスクロールすることだけ。モードを変更しない限り、スマホのようなタッチパネルにはなりません。

 私がタッチペンやキーボードがあるPCを主に使うのは、テクノロジーの支配から自由になるためです。指ですぐに操作できるとなると、常にスマホをスクロールしてしまいます。しまいには依存症になってしまうでしょう。

 私は「アンチ・ソーシャルメディア」を標榜していますが、指だけで簡単に操作できないように自分で設定した電話を使うことで、SNSに過剰に注意を払わずにすんでいます。テクノロジーとはあくまで、人間のお手伝いをしてくれるもの。テクノロジーの奴隷になるのはおかしな話です。

 

 私たちがつくり、未来に役立てていくべきなのは、たんなるAIではなく、ましてや権威のAIでもなく、支援のAI(Assistive Intelligence)です。

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 支援は、障がいがある人や、マイノリティだけに必要なものではありませんし、そもそも私たちは誰もがマイノリティです。みんなかたちが違うだけで。それぞれに弱さを抱えた人間であり、その弱さを共有することが大切です。

 そこで鍵を握るのが共感ですが、デジタルテクノロジーによって、以前よりも深いレベルで他者に共感できるようになったのではないでしょうか。

 たとえば私は先日、イマーシブテクノロジー(没入型技術)で、「難民として台湾にやってきた外国人」として働きました。

 ・・・イマーシブテクノロジーでは、バーチャルな空間で他人の人生を「生きる」ことができます。・・・

 テクノロジーの力でさまざまな体験をする。そこから共感が育まれれば、お互いの弱さを認めて、助けあえる世界になっていくでしょう。

 

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 このインタビューで・・・日本のビジネスにまつわる問題として問われたのは、日本の定年問題について。日本では、シニア世代の多くの人々は「仕事を続けたい、活動的でありたい」と望んでいます。・・・

 人が100歳まで生きるとして、90歳になっても現役世代のように働くことは難しいでしょう。しかし、「支援のAI」が助けてくれれば、状況は変わります。年齢を重ねてもできることが増えて、充実していくはずです。

 また、自分の経験や蓄積を提供するという、知恵の労働(wisdom work)なら何歳になってもできます。・・・

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 台湾の若者は定年を迎える前に起業しようとしますが、日本には長く続いた終身雇用制度があり、それも難しいようです。そんな終身雇用制度も崩れつつあり、「年金はどうなるのか」という不安もあります。

 しかし何歳だろうと「知恵の労働なら続けられる」と思えば、未来への心配も薄らぐと思います。

 ところで、「65歳で定年を迎えるのは早すぎるのではないか」という問題についてコメントするのに、33歳で引退した私は、最適かもしれません!

 私は15歳で起業し、33歳のときにビジネス界から引退しました。

 2016年、最年少大臣として入閣したときは35歳でした。

 今の私は、自分が楽しむためと公共の利益のためだけに働いています。任意団体、いわゆるソーシャルセクターとだけ協働しているのも重要なポイントです。

 仕事をリタイアしてから起業する人々の間でも、ソーシャルセクターとの協働や、ソーシャルセクターを立ち上げることは、トレンドになっています。

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 みんなすでに人生のゲーム、特に経済活動のゲームを終了している人たちですから、競争に勝つことだけに満足を見いだすことから手を引いています。

 経済活動に取り組む場合には、ただの知識ではなく英知に基づいて行動しています。

 つまりこれは「知恵の労働」であり、お金から自由になった「新しい働き方」と言っていいのではないでしょうか。経済活動のゲームのルールから外れると、できることはもっとたくさんあるはずです。