パリのすてきなおじさん

パリのすてきなおじさん

 金井真紀さんの本、また見つけて読みました。

 ほんとにどれも味わい深いです。

 

P246

 本書のテーマは、「パリ」の「おじさん」である。「おじさん」はともかくとして、あいつぐテロ事件があって以来、日本に帰ると、挨拶代わりのように「パリ、大変ですね、大丈夫ですか」と聞かれる。実際、渡航禁止にしている大手企業もある。

 たしかに、街のあちこちで軍隊や警察が三人一組になって機関銃を手にパトロールしている姿を見かける。でも、茂みの陰に隠れたテロリストを捜索しているわけではない。あくまでも万が一への備えである。むしろ安全が確保されている証拠だ。でも、そんな物々しい映像を目にすると危険だと思ってしまうのだろう。

 ネットだ、SNSだとテクノロジーがいくら発達したからといっても、正しい情報を伝えるのは至難の業だ。

 いや「正しい」というと「なにが正しいのか」とツッコまれそうだから、「現実(ありのまま)」と言い換えておこう。いやいや、現実といっても、しょせんはみんなで象をなでているようなもので、一部しか見えない、といわれるかもしれない。

 しかし、遺跡から掘り起こされる破片から壺の全体像を再現することができるのも事実だ。ひとつひとつは小さなカケラかもしれないが、うまく全体を想像させる破片を拾い上げることはできるのではないか。

 とはいえ、あまりはじめから仕込んでしまっては、固定観念を追認、予定調和させるだけになってしまう。そこで、最低限のおじさんはおさえたものの、あとは、真っ白な真紀さんとテクテク歩きに歩いて、街の雰囲気を感じながら取材を申し込んだ。

 あがってきたゲラを見ながら「そうだよ、パリってこうだよ!」と叫びたくなった。

 だが、これは、パリの旅日記ではない。パリはあくまでも手段に過ぎない。

 この旅は、人間というもの、生きるということの破片を集める旅だった。

 

P228

 通りがかりの小さな書店。店先のウィンドウにHAIKUの本が置かれていたので立ち止まった。フランス語読みで「アイク」、すなわち俳句はフランスでも人気らしい。

 店の奥から、東洋人の顔つきをしたおじさんが出てきた。「やぁ、どうも。どこから来たの。お、日本人ですか。ぼくはベトナム出身」なんて、親しげに話しかけてくれて、「なに?おじさんの取材?そりゃまた、おもしろそうなことをしていらっしゃる」なんてほめてくれて、「立ち話もなんだから」「そうですね」という展開。

 で、お茶を飲みに行った。こういう流れこそ旅の醍醐味。立ち話もなんだから、の「なんだから」はふしぎな言い回しだなぁ。フランス語でなんていうのだろう。

 ・・・

 タイさんは医者だった。長くパリのキュリー研究所に勤務し、癌の研究をしていたという。・・・

「さっきあなたに会った本屋さんね、あそこで貧しい家庭の子どもたちの医療や教育をサポートする会をやっていてね。今日はそこに用事があったんですよ」

 ・・・

 タイさんはハノイの生まれ。おじいちゃんはマンダリン(高級官僚)、お父さんは校長先生というから裕福なおうちだったのだろう。長男であるタイさんは医者に、妹は建築家に、弟は弁護士になった。エリート一家だ。だが、おそらくは裕福なエリート一家だったが故に、ベトナム現代史の荒波に翻弄されていく。

 ・・・タイさんがフランスに留学したのは一九六六年。医学部で、遺伝子学を専攻した。

 ・・・

 そのうちベトナム政府からの奨学金が途絶えた。といって、がっつりアルバイトができるほど医学部は甘くない。困窮したタイさんは先生や同級生に「なにか仕事ない?」と聞いて、研究室の掃除をしたり、試験管を洗ったりして、生活費を稼いだという。

 ・・・

 一九七五年にサイゴンが陥落し、ベトナム戦争は終わった。だがタイさん一家にとっては、それからが闘いだった。共産党の国になると、旧体制下の政治家、軍人、資産家、知識人などは弾圧された。・・・

 ・・・

 ・・・タイさんは・・・非番のときは、ボランティアの医師としてパリやアミアンの難民収容施設に通いつめた。そこにはベトナムからフランスへ逃げてきた難民があふれていた。

 ・・・

 難民にしてみれば、たどり着いた土地にベトナム語を話す医師がいたことはどんなに心強かっただろう。タイさんは休みなしではたらいた。そうすることでしか、やるせない気持ちを紛らわせることができなかった。

 タイさんはフランス人女性と結婚したが別れて、いまは十三区の小さなアパートにひとりで暮らしている。一日一本、バナナを食べる。オレンジとキウイも好き。二十八になる娘は、ベルギーで文化遺産を守る仕事をしている。

「娘はね、フルートが得意なの」

 娘さんのことを、うれしそうに話すのが印象的だった。

 最後に訊いた。

「人生で大切なことはなんですか」

「いま、このときを味わうこと」

 即答だ。ベトナム戦争とその余波のなかで、そして癌の研究を通して、じつに多くの死を見てきた。だからこそそう思うのだと語った。

「大事なのは将来ではない。いまですよ。いま、この瞬間に大事なものをちゃんと愛することです」